6月7日(水):DV論(2)~闇夜のカラス
DVに関して、もう一本書いておこう。DVに限らず、これはとても大事なことだと僕は思う。
DVの問題を抱える人は、自分たちの親もまた同じような問題を抱えていたりする。親のDVを見て育ったという人も少なくないように思う。それは「加害者」側であれ「被害者」側であれ、同様である。
彼らが間違うのは、子供時代に問題があると信じてしまうことだ。本当は今現在において問題が起きているのである。極論を言えば、その人が良くなっていくのに、彼の子供時代なんてまったく関係がないのである。むしろ、それは彼が良くなってから関係してくるものなのだ。
親がDVをしてきた。自分も同じことをしてしまっている。この時、親と自分とは同等、ないしは類似しているということになる。そんな状態で子供時代や親を振り返ってみても、何にも見えるはずがないのである。
僕はこれを「闇夜のカラスを探す」ようなものだと考えている。カラスは黒い色をしている。夜だと、周囲が暗いので、なかなか見えないのだ。よほど近くまで寄らないと見えないのだ。それと同じなのだ。自分が暗い、もしくは目の前が暗い状態で、カラスを見ているのだ。同じ問題を抱えている渦中において、同じ問題を抱えている他者を見ようとしているのだ。
逆に昼間のカラスはよく見える。遠くからでも見える。近づかなくても見える。はっきりと見える。そういうものである。自分がその問題から抜け出した時、同じ問題を抱えていた親の姿がよく見えるようになるのである。その時に子供時代を振り返ればいいのだ。問題が解決してからこの作業が必要になるわけだ。
DVの夫婦においても同じことが言える。「加害者」側であれ「被害者」側であれ、その人が変わるとパートナーのことがよく見えるようになるのである。
ここは表現が微妙なのだが、当事者の中には自分は相手をよく見ていると主張する人もある。それはそれで嘘ではないと思う。「よく見る」というのはそういうことではないのである。今までとは違った目で見るようになるということなのだ。
その人が新しい自分になると、新しいものが見えてくる。今まで見えていなかったものが見えてくるようになる。喩えて言えば、それは「視力」が良くなったのではなく、「目」そのものが変わることである。
さて、ここからがさらに微妙な表現になるのであるが、この小論では大雑把にしか説明できないと思う。
DV問題でカウンセリングを受けた当事者たちは離婚することが多い。もっとも、カウンセリングを受けなくてもDV問題というのは離婚で終わることが多いので、カウンセリングが悪いわけではないと僕は考えている。
離婚に終わっても、カウンセリングを受けた当事者とそうでない当事者とでは、この離婚の意味がまったく異なるのである。
僕の自分勝手な印象だけど、カウンセリングを受けない当事者の離婚は「リセット」の意味合いが濃いように思う。離婚して、それでチャラにしようということだ。それをなかったことにしようという試みである。そして過去のことは水に流して、再スタートを切ろうとするわけなんだけど、結局、同じことを繰り返してしまう人も多いようだ。
カウンセリングを受け、尚且つそのカウンセリングが上手くいった当事者の離婚は、「十字架」の意味合いが濃くなる。彼は一生それを背負い続ける覚悟を固める。軽々しく再婚なんてしない人も見かける。ある「加害者」男性は言う。「自分だけ再婚するわけにはいかない。一生結婚はしない」と決意を語る。
カウンセリングが上手く行った場合、当事者は自分が人生の失敗者であったことを痛いほど思い知ってしまう。結婚すべきでない相手と結婚してしまったこと、その夫婦生活で自分を毀損し続けてきたことをイヤというほど感じてしまう。そしてそれが他でもない自分の責任であったことを自覚していくのである。彼はそれらを背負い、そこから人生の再建に向かう。新たに生きるのである。決して「リセット」しているのではないのだ。
だから、上手く行く場合、そのカウンセリングではもはやパートナーのことなど話に出て来なくなるのである。もはや相手のことをとやかく言う必要が彼にはなくなってくるのだ。相手は相手で問題を抱えているとしても、それはもはや今の彼には関係がないのだ。彼にとって、今や自分が問題であり、自分が問われるようになるのだ。
ちなみに、いちいち「上手く行った」と書いているのは、そこまで至らない人もあるからである。途中で挫折してしまう人も少なくない。
新たに生き直していく。これこそ「反省」なのである。
僕たちは本当には「反省」ということを知っていないかもしれない。「もうしません」と約束することは、「反省」ではないのだ。それは単に「後悔」しているだけなのだ。当事者たちは「後悔」を「反省」と取り違える。
後悔とは、「あんなことするんじゃなかった」「こうすべきだった」と思い煩うことである。後悔しているだけなので「リセット」や「やり直し」の観念が生まれるのだと僕は思う。
本当の反省とは、もはや引き返すことも取り返すこともできないということを引き受け、それを背負い、そこから新しく踏み出していくことなのだと僕は思う。従って、今までとは違う人間になった時、その人は本当に反省をしたのだと僕は思う。
以上、僕のDV観を大雑把に述べた。いずれサイトの方でしっかり取り上げたいと思う。取り急ぎ、したためておいた次第である。
僕の考え方に厳しいものを感じる人もあるかもしれない。でも、そう感じてくれる方がいいこともある。自分の人生と相手の人生がかかっていることなのだ。厳しさを感じるくらいでちょうどいいと僕は思っている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)