1月29日(土):コロナ禍を生きる~暗黒時代
コロナ感染者数が一日8万人を超えたか。10万人には達するだろうけれど、それ以上に増えるだろうな。一日20万人まではいかないかもしれないけれど、15万人くらい出てもおかしくない。
もっとも、それだけの検査数が足りていればの話だ。検査キットが厳しくなり、検査をしたくてもできない状態になりつつある。医師は見込みで診断してもいいという話まで出ているくらいだ。検査をせず、問診だけで医師が判断していいということなので、これは立派な医療崩壊なのである。
それはさておき、検査ができなくなると、感染者が増えているのか減っているのか、パンデミックがピークアウトしているのかどうかということも不明瞭になってくる。結局、こういう事態を招いてしまうのだ。佐渡の金山を世界遺産に申請するか否かなど、それに携わっている人たちには申し訳ないけれど、そんなことをやってる場合ではないだろう。
まん延防止から緊急事態へ、これは病床使用率で決まるのだけれど、もう間もなくだろう。最初から緊急事態宣言をしておいたほうがいいのだ。まん延防止を一か月やって、そこから緊急事態を一か月やるよりも、最初から緊急事態を一か月だけやってくれるほうが経済的にもましではないかという気する。
医療逼迫よりも国が逼迫しているのだから、二重に厳しい。これはコロナ以前の問題だ。危機状況においてどれだけ速やかに対応できるか、あるいは何もできなくなるか、国であれ個人であれ、そういうところに強さや脆弱さが表れる。中国は日本よりもはるかに強い。こういう感染症を以前にも経験しているということも強味だっただろう。中国ができていることを日本はできないのである。オリンピックにおける感染対策も中国は日本と全然違うのである。僕は別に中国を嫌っているわけではないのだ。中国ができていることと日本ができていることとの格差の話である。そこだけはお断りしておこう。
まあ、こんな話は止そう。いずれにしても、仮にコロナが終息しても、まだまだ暗黒時代が続きそうな気配だ。日本全体がそうなるし、世界的に見ても厳しい時代が続くことだろう。これからもっと厳しくなるだろう。その可能性も高い。それでも生命が僕を手放さないうちは懸命に生きなければならない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)