3月20日(月):一日を終えるまで
世間は三連休なんだな。今日がその最終日ということだ。僕は別に休みたいとは思わない。休みの必要な人は休んだらよろしい。今の僕は、休むのがもったいないって感じられている。
昨日も書いたけど、今日は予約が一件キャンセルになった。その時間を利用して、溜め込んでいたブログを一部公開した。面白くもなんともないブログを10日分ほど公開した。
サイトの方も疎かになっている。先週も2件ほど新規の人を受け入れたので、今はその人たちのために時間を割かなければならない。このサイトが一番大事なのに、一番後回しになってしまっている。
このサイトが大事というのは、これしか僕と外界との接点がないからである。他のメディアを活用しているのでもないし、複数のサイトを手がけているわけでもないから、このサイトだけが窓口なのだ。
そう言えば、アイタウンページのが公開されたと聞いたな。タウンページのサイト版だ。僕が開業した当初は利用していた。当時とは大分システムも変わったということなので、試しに一年だけ公開することにしたのだ。間違いなく一年だけで終わる。これは目に見えている。それ以上継続する気が僕にはまたくないからだ。
でも、たとえ一年であっても、ウチのページがある以上、それは作っていかないといけない。まあ、ボチボチやっていくか。
このアイタウンページであるが、先日のIT業者さんから聞いて、初めて公開されているのを知ったのだ。なんでNTTが知らせてくれないのか、訳が分からん。
その業者というのは、50万円の商品を売りに来た連中だ。彼らは言うのだ。「カウンセラーを探している人が多い」と。だからその人たちにより検索されるようにしようとあの業界の人たちは言ってくるのだけど、余計なお世話である。
カウンセラーを探している人なんて決して多くはない。そういう検索が多いだけなのだ。もしくは、カウンセラーをずっと探し続ける人たちだ。そういう人が大半を占めているんじゃないかと、大した根拠もないくせに、僕はそう信じこんでいる。
カウンセリングに関する検索が多くても、その人たちがみんなカウンセラーを探しているわけではない。もっと言えば、カウンセラーなんか探していなくて、もっと他のものを探しているのだ。本当にカウンセラーを探している人だったら、いつまでも検索していないはずなのである。カウンセラーと会うことができないから、その人たちは検索をし続けなければならなくなるのである。具体的なことをここでは言わないけど、僕はそう信じている。
さて、サイトのことも、アイタウンページのことも、それに書籍のことも手がけなければならない。新規のクライアントのことも、継続中のクライアントのことも、中断したクライアントのことも、僕は考えていかなければならない。
おっと、今、「ねばならない」なんて言葉を使ってしまったな。悪者とみなされる表現だ。僕はそんなことは思わない。自分に基準があるから、「ねばならない」が生まれるのだ。そして、それが自分にとって大事な領域だから、そういう基準ができるのだ。従って、それほど重要でもない領域で「ねばならない」思考が稼動するのが悪いわけであって、この思考そのものが悪いわけではないのだ。「ねばならない」という思考を完全に放棄するということは、その人は自分なりの基準を何一つ持たずに生きることを意味する。僕はそう思う。
今のは余談だった。あれこれしなければならないくせに、今日は帰宅するとマカロニウエスタンを観てしまった。
例のマカロニウエスタンDVDコレクションだ。初期の頃は、一つの作品を二度、三度と鑑賞したものだけど、だんだん、それもなくなってきた。だから、最近のものは一回しか観ていないものも多い。
その反省も踏まえて、今日はまだ一回しか観ていない「荒野の処刑」をチョイスする。これはなかなかいい映画である。ホラー映画で有名になったルチオ・フルチ監督らしく、なかなか残酷なシーンがあり、ウエスタンには珍しくスプラッターなところもある。最初は嫌悪感も覚えたけど、こうした残酷な描写は、中盤から後半における感動的な場面、美しい場面をいっそう引き立ててくれているのだと思った。出演者も個性的である。中でも悪役のトーマス・ミリアンがいいね。
その後、寝ようかと思ったが、何となく、このまま寝るのはもったいない気がしてきた。どこかで今日一日を終えることに抵抗している自分がいる。それで、ずっと書きものをして過ごした。
朝の4時。そろそろ眠たくなってきた。これは、もう一日を終えてもいいというサインだな。終えてもいいというお許しを得たのだな。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)