<#007-6>臨床日誌(6)~注意集中(2)

 

 昨日は注意集中するということにも3つのパターンがあり、それぞれに一長一短があるので、自分がどのパターンが優勢であるかを知っておれば、何らかの対策を講じることが可能であるという話をした。今日はその続きである。

 

 クライアントたちが困惑するのは、一度に複数の事柄に注意を集中しなければならないという事態である。「注意の配分」という問題である。

 例えば、会議でプレゼンターの発表を聴きながら、同時に資料に目を通し、さらに同時にメモを取りながら、自分の意見をまとめるといった場面などである。どれか一つに注意が集中すると他のことへの注意が疎かになってしまうというわけだ。

 上記の場面で、一度に全部できなければ一つずつやってもよいと僕は信じている。最初は発表を聴き、それが終わってから資料に目を通し、発表内容を思い出しながらノートに書き、その後で自分の意見をまとめるというふうに、順番にやっていってもよいと思うのだ。

 しかし、一部のクライアントはそれではダメだと言う。一度に全部できないといけないらしい。なんか厳しい状況があるのかな。

 この場合、どれか一つにでも習熟していると注意の配分がラクになる。講義や発表を聞き慣れることでもいいし、資料を素早く読み取ることでもいいし、ノートを速く書くことでもいいし、考えをまとめ慣れることでもいいので、どれか一つでも習熟するとその分それ以外のことに注意配分できるようになるわけだ。

 従って、いろんなことに習熟している人ほど一度に複数の事柄に集中することが可能になってくるわけだ。ほとんど意識しなくてもできるくらいにまでそれに習熟するとよいということになる。

 しかしながらである、本当に一度にすべてのことに対して注意配分ができている人なんているだろうか。僕は疑問である。むしろ、注意が素早く「転換」しているのではないかと思う。発表を聴く時はプレゼンターの話に集中し、資料に目を通す時には資料に集中し、またプレゼンターの話に注意を戻すというふうに、瞬時に注意の方向が切り替わっているのかもしれない。

 余談だけれど、プレゼンターは聞き手の注意転換を組み入れて構成を練るとよいと思う。一定時間話をして、「では、ここで資料を見てください」と注意の転換を与え、しばらく時間を聞き手に与えてから、「では、話を続けます」と再び注意を戻してあげるとよい。また資料を見てほしい個所が来たら、「では、ここでまた少し資料のこの部分を見てください」と伝え、しばらく聴衆に時間を与え、「では、この資料に基づいて話を続けます」と注意を戻してあげればいい。

 上手な話し手、講師、プレゼンターは、聴衆の注意転換を取り入れているものであると僕は思う。全部のことに注意配分を聴衆に求めるような話し手は下手くそなのである。しかし、まあ、これは本当に余談だったな。

 

 さて、注意の配分と転換とが今日のテーマだ。転換というのは、要するに切り替えということだ。

 複数の対象に配分するよりも、個々で切り替える方が心的負荷が少ないと僕は思う。よほど習熟していないと配分は難しいと思う。だから、不慣れな作業に集中している時には、配分ではなく、切り替えをしていく方がいいと思う。

 例えば、料理を作っている時に電話が鳴ったとする。調理に習熟している人だったら調理を続けながら電話で話をすることもできるだろう。でも、料理が不慣れな人の場合、一旦、調理の手を止めて、電話の用件を済ませて、それから調理に戻る方がよいということになるわけだ。

 これに関して、僕は次のような話を知っている(一部省略とアレンジがある)。母親Aは子供の宿題に付き添ってやると、子供との会話が増え、子供の成績も上がったという。それを知った母親Bも同じことをする。子供に宿題をさせ、その傍らについてやって、子供に声をかけてやったりする。しかし、母親Aの子供のように、会話が増えるわけでもなく、子供の成績が上がるわけでもなかったという。

 これは簡単な話である。母親Aの子供は勉強に慣れているのである。だから宿題をしながらでも母親の相手もできるのだ。母親Bの子供は、失礼だけれど、勉強はさっぱりという子だった。この子は、ただでさえ勉強することに不慣れなのに、母親の対応もしなければならなくなったわけだ。

 母親Bは次の二つの方向のいずれかを採ればよかったと思う。まず、子供が勉強することに慣れること、それを先に目指すという方向。もう一つは、子供の勉強と母親への対応と、注意の転換を意識して行うという方向である。後者は、例えば子供が教科書の問題を1ページこなしたら、母親が声をかけ、会話をし、子供を少し励ましてやってから、2ページ目に取り掛かってもらうなどということである。工夫はいろいろできるだろうけれど、注意は一つのことに限定する方がよいと僕は思う。

 

 ところで、注意の配分が得意な人もあれば、転換が得意な人もあるように僕は思う。

 注意の配分がよくできるという人は、例えば気配りができる人であるとか、器用な人であるというふうに見られることが多いと思う。注意の転換がよくできるという人は、頭の回転が速い人というふうに見られることが多いと思う。しかし、これらは器用さとか知能とはほとんど関係がないものだと僕は信じている。

 注意の配分も転換も、訓練次第で伸びるものだと僕は信じている。例えば、学校の先生なんかは配分が得意であるかもしれない。授業しながら、一人一人の生徒に注意しているのだから、注意の配分が求められる上に、それを毎日やっていることになるからだ。現場監督は同時に複数の作業工程に注意を配らなければならないだろうし、安全監視人とか警備員とかは至る所に注意を配ることになるだろう。こういう人たちは注意の配分が上手であるかもしれない。

 また、会社の経営者には注意の転換が得意な人が多いように思う。一度に注意を集中するのは一つの事柄なんだけれど、それを次々に処理していかなければならないので、切り替えが上手になるだろうと思うわけだ。お医者さんなんかもそうかもしれない。

 カウンセラーなんかでも、僕のように個人面接しかしないという人間は配分が不得手である。家族料法やグループセラピーをやるような臨床家は注意配分が優れているだろうと思う。

 いずれにしろ、配分も転換も後天的に発達するものである。ある意味では訓練されて伸びているのである。

 そして、どの人もその両方が、ある程度は、できるのである。

 

 さて、注意集中の話は今後とも続けていきたいと思う。折に触れて続きを書くことにしたいと思う。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

PAGE TOP