1月9日(日):非接触も良し悪し
今日は朝から午後にかけて仕事が入っておるが、その後はフリーである。フリーというのは仕事が入っていないということなんだけれど、それはいいとして、仕事が終わったら外出しようと思っていた。
僕の友達が梅田にカフェバーをオープンさせた。一度くらいは顔を出そうと思う。実際、その友達ともいつか行くと約束している。なんとなく約束は果たしておかないと気持ちが落ち着かない。オミクロン株の流行でマンボウだの緊急事態だのが発出されたら行けなくなる。行くなら今の内だ。
ところが、午後になると疲れてしまい、結局、夜までずっと高槻で過ごした。
今年はひきこもる予定だったのに、気がつくと、知り合いや友達と会ってばかりいる。これも理由は同じでオミクロン株の流行を懸念しているからだ。会いたいと思う人とは今のうちに会っておかないと、って気持ちになるわけだ。
正直言って、コロナは怖い。僕の場合、感染したら重症化して死んでしまうという気がしてならない。ワクチンも未接種だ。自分がワクチンを接種して大丈夫なのかどうかも確信が持てないのだ。そうなると自衛するしかないわけだけれど、仲の良い人と会えるうちは会っておきたい気持ちも強い。
同居している両親も僕が外からオミクロンを持って入るのではないかと心配している。できるだけ持って帰らないようにしようとは努めているのだけれど、限界もある。
こっちが人を避けても、向こうからやって来ることがある。今日も帰りにコンビニに寄ったのだけれど、5,6人の若者がマスクをずらして大声で談笑しながら入店してきて、僕は彼らとすれ違った。そんなところで感染してしまうかもしれないのだ。
電車も空いている時間に乗るようにしているのだが、停車した駅でどっと人が入ってくることがある。観光シーズンにはそういう場面に幾度となく遭遇した。当然、僕はそこで人が大量に流れ込んでくるなどと予想もできないのだ。いつもの時間の電車に乗っても、日によってはいつも以上に人が入ってくることもある。これを回避するなんて至難の業だという気がしている。
それで夕方ころに、ちょっと買い物に出た。向かいのスーパーに入る。大したものは買わないんだけれど、いつの間にか無人のレジになっている。最後に行ったときはそうではなかったように思うのだ。
店員さんがレジに案内して操作を説明する。言われた通りにやっているのになぜか上手く行かない。店員さんが来てまた説明するのだけれど、結果的に、僕の清算が済むまで店員さんがついてくれた。ありがたいと言えばありがたい。でも、僕がオミクロンを持ってたらこの店員さんに感染させただろうし、店員さんが持っていれば僕が感染するだろうし、けっこうリスクの多い場面だったように思う。
非接触のことを新たに始めると、却って接触時間が増えてしまう場面もあるようだ。それなら災禍のうちは従来通りの方がまだいいのかもしれない。
いや、実際そういう側面がある。危機状況にある時に新しいことを始めたり、新しいことを習慣づけたりしようとする人も多い。気持ちは分からんでもないんだけれど、結果的に負担が増えてしまう。危機に対応すると同時に新しいことに適応しなければならなくなるからである。むしろこれまで通りのことを続け、その中で危機に対応していく方が負担は少なく、却ってうまくいくということもあるのだ。
もし、危機状況でこれまでと違うことをしなければならないということであれば、それは短期決戦で臨んだ方がよい。コロナ禍の場合だと、ロックダウンとか自粛生活とかいうのがそれに当たる。こういうものは短い方がよい。短期間で効果を上げないといけないものなのだ。それをダラダラと長期的に行うと、それに適応してしまい、今度は以前のものに戻ることが困難になってしまうように思うのだ。
非接触も良し悪しがあるものだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)