12月3日:ヘンコ者万歳 

12月3日(月):ヘンコ者万歳

 

 今日はいくつかのことをしなければならなかった。

 まず、wifiの件がある。僕のはauのやつだ。先日、よくわからない案内を受け取ったので、どういうことなのか、ショップに行って聞いてみようと思っていた。ところが、肝心のwi-fiを家に忘れてきてしまい、後日に延期することになってしまった。

 銀行は今日が月初めなので、いくつか支払いをしなければならなかった。これは朝のうちに片付けることができた。

 いずれも午後に行おうと計画していたのだが、上記の理由で午後は丸々空きが生まれたことになる。まあ、ちょうどいいや。書くものを書いていこう。

 

 今朝のクライアントから「本はまだですか」と訊かれた。ああ、それだけは訊かんといてくれと思った。けど、まあ、いいや。頓挫したままであることをそのまま伝える。

 本も迷いに迷いまくって、迷走しまくって、収拾がつかなくなり、さっぱりラチがあかなくなっている。それが現状である。

 本を書く人は、一冊の本を書くために、その本の数倍もの内容を用意してしまうものだということを聞いたことがある。それはそうだろうなと思う。そこから取捨選択したり、まとめたりして、一冊にきれいに収めるわけだ。それを思うと、本を書くっていうのはけっこうな芸術的作業である。本を書きたいという気持ちはあれど、それを思うと、やっぱり自分には向いていない仕事だなという気もしてくる。

 僕の場合、あれもこれも詰め込みたくなってしまうのだ。まだ足りない、まだ足りないとかって思ってしまうタイプだ。これを言ったら、あれも言っておかなくてはならないとか、それも言っておかないと誤解されるとか、そんなことを逐一考えるので、内容量だけが増えてしまう。分量が増えるだけでなく、それをうまくまとめられない。そうなると内容物が氾濫するばかりである。ちょうど、このサイトがいい例だ。

 

 ウチのホームページは、なんか、独特らしい。今日のクライアントも言っていたし、IT屋からもそういう話をよく聞く。他にはないサイトらしい。

 僕自身、インターネットを見ないので、他の所がHPでどんなことやっているのか知らない。多分、集客向けに作られているのだろう。

 僕のこのサイトは集客よりも、僕が何をやっているのか、どういう考え方をしているのかを知ってもらうことを優先している。それで、この人とだったらやっていけそうだと思ってくれる人にだけアピールできればいいと思っているし、そういう人にだけ来てもらえればいいと思っている。

 多分、僕のこの考えは間違っているのだろうと思う。中には「何百人も治しました、他でダメだった人はウチに来てください」と自信たっぷりの臨床家もいる。HPで堂々とそれを打ち出しているのだ。僕には真似ができない。でも、病んでいる人にとっては、そういう人の方に魅力を感じるだろうと思う。

 他にも、きれいな文句が並んでいるというところもあるそうだ。おそらく、そういうところの方がウケはいいだろう。「あなたは今のままでいいですよ」と言ってくれるところの方が、「本当に今のあなたでいいのですか」などと緊張感を与えるようなところ(つまり僕のところだ)よりかは安心できるだろうと思う。

 それを考えると、彼らはちゃんと受け取り手のことを視野に入れてHPを作っているのだ。僕はまったくそういうものを考えていない。読者を置いてきぼりにして独走してしまっていることなんかザラにある。見る人は見るし、読む人は読む。同じように素通りする人は素通りするし、読まない人は読まないものである。そこを強制する権利は僕にはない。そんな考え方をしている人間だ。

 当然、こういう人間には人が寄り付かなくなるものである。それでいいのだ。万人から好かれようなどとは僕は思わない。フォロワーなんかも望まない。「いいね」ボタンすら設定していない。

 こんなヘンコな人間は多くの人からは好かれない。でも、ヘンコ者は少数の人からは熱心に好かれるものである。それは高級酒に例えられる。高級なお酒は美味しいのだろうと信じている人も多いと思うけど、実際はそうではなかったりする。クセが強かったり、香りが強烈だったりする。むしろ、安酒の方が万人受けするように作られているものである。そうでなければ安酒は利益を上げられないからである。それでも、高級酒が廃れないということは、それでなくてはいけないという少数の人たちがいるおかげである。高い金を払ってでもその銘柄でなければならんという人が買うわけである。高級酒と同列に置くことは憚られるのだけど、ヘンコ者にもそういうところがあると思う。

 ヘンコ者とそのヘンコ者を熱心に好きになる人との関係は、分裂病者と精神科医にも例えることができそうだ。もっとも、最近の精神科医はどうか知らないけど、昔の精神科医の中には、分裂病なら分裂病を生涯にわたって研究したりする。それは善意とか熱意ではないのだ。分裂病者に魅了されてしまうのだと僕は思う。あまり人が付き合いたいとは思わない病者(こっちがヘンコ者の立場だ)に、少数の人が魅了されてしまうわけだ。それだけでは飽き足らず、最後には分裂病者の仲間入りしてしまう医師もある。そこまで病者に魅入られてしまうわけだ。そういうのがヘンコ者の魅力なのだ。

 僕はこれからもヘンコ道(そんなもんがあるんかいな)を突き進む。まったく、ヘンコ者万歳である。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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