12月1日:帰途にて 

12月1日(土):帰途にて

 

 今日から12月。朝のうちに支払いなどのことは済ませておく。

 いよいよ師走に突入した。僕の方は何の変化もないけれど、クライアントの方で何かと変更が増える月だ。今日も忘年会かなんかがあるからということで、予約を延期された方もおられる。忘年会なんかよりもカウンセリングの方が大事だと僕は思うのだけど、まあ、あまり僕の価値観を押し付けるわけにもいかない。

夜、駅の周辺は人が多かった。やはり忘年会とか飲み会の帰りなんだろうか。団体さんや、中には家族連れの人たちも見かけた。 賑やかなのは許せるのだけど、騒々しいのはゴメンだ。大声を発したり、喚いたり、バカ笑いしたりなど、あんまりいいものではない。ガラの悪いケンカ言葉もチラホラと耳にした。頼む、少しは静かにしてくれ。 足早に駅に駆け込む。小さい子供がチョロチョロしおる。ああ、うっとうしい。ホームの喫煙室に入る。本を読みながら喫煙する。今度はケータイで会話だ。密室だけに声が反響してやたらとうるさく感じられた。一人が終わって出ていくと、次の一人が入ってきて、それがまた同じように電話で話をするといった塩梅だった。 電車に乗る。ひときわ大きな声が聞こえる。車両の端から端まで届く音声だ。内容は普通のお喋りなんだけど、よく聞こえる。みるとオバサンだ。声の大きい人は、それと比例するかどうかは分からんけど、けっこう早口な人も多いという印象が僕にはある。小声の人で早口は見かけないものだ。だからだろうか、大きな声が気になるだけでなく、その早口が忙しないようにも感じられてくるのだ。 そのオバサンたちは途中で下車した。やれやれと思う間もなく、入れ替わりに会話に夢中の女性二人組が乗り込んでくる。この人たち、声は普通なんだけど、僕のすぐ近くに席を取ったのだ。 やたらと騒々しかったなと思いながら、ようやく駅に着いた。あとは家まで歩いて帰るだけだ。すると、いきなり無灯自転車が角を曲がってきた。けっこうなスピードを出している上に、運転手はケータイでお喋り中で、当然、片手運転という状態だった。すんでのところで衝突するところだったが、当人は何事もなかったかのようにケータイでお喋りを続ける。ホント、ろくでもない世の中になったものだと思う。

どの人も一つのことに集中していないのだ。自転車に乗るときは自転車に乗る。電話で会話する時は電話だけにする。タバコを喫う時はタバコだけに専念する。一度に一つのことをすればいいのに、すべてが同時進行だ。

 先日、こんな人も見かけた。スマフォを取り出して、その人はゲームを始めた。それはいいんだけど、けっこうな音量を出している。それで当人は何をしているかというと、イヤホンをつけて、何か音楽を聴いているのだ。音楽を聴いているのならゲームの方は消音すればいいのに、両方を聴いているってことだろうか。加えて、本人はタバコを喫っているのだ(駅の喫煙ルームでのことだ)。耳は音楽とゲームの音の両方を聴き、手はゲームを操作するかと思えばタバコの灰を落とすといった具合に両方のことをする。 ホント、一つのことに専念しないから神経衰弱(意志機能の減退)のような人間になってしまうんじゃないかと、他人事ながら僕は心配になってしまう。

 何かと騒々しい帰途であったけど、どうにかこうにか無事に家に帰ることもできた。まあ、自転車と衝突しそうになったが、こういうのもよくあることだ。これが珍しいことではなくなったというのは嘆かわしいことであるが、しょうがない。向こうから当たってきたら、こちらは当たるしかないのだ。朝、いつもの通りに家を出て、そのまま帰宅できなくなるという事態だって生じかねないものである。取り敢えずは無事に一日を終えることができたことに安堵する。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

関連記事

PAGE TOP