10月10日(水):唯我独断的読書評~『人間和声』(A・ブラックウッド)
アルジャーノン・ブラックウッドといえば、「ブラックウッド傑作選」(創元)や「ジョン・サイレンス」(角川)などの短編しか読んだことがなかった。どちらかと言えば、僕の中では、短編で本領を発揮する作家という位置づけがなされていた。今回、初めてブラックウッドの長編にチャレンジする。
とは言え、僕がこの本を購入してから、今回読むまでの間にかなりの日数が空いているのだが。どうも食指が動かなかったのである。半分は読んでみたい気持ちから、半分はせっかく買った本だから読んでおこうという義務感から、今回、本書を紐解いていった。結果、読んで良かったと思うことができた。
主人公スピンロビンの子供時代のエピソードが冒頭に置かれている(このエピソードが後々重要となる)が、彼が秘書募集の広告に応じることから物語が始まる。引退した聖職者による募集で、テノールの声とヘブライ語の知識を有するという条件のほかに、勇気と想像力をも条件に加えられている。スピンロビンは興味を覚えて応募する。
採用され、現地に向かうスピンロビン。ここで迎えに来たスケール氏と初対面を果たす。スケール氏がその広告主であったが、その独特な風貌や雰囲気にスピンロビンは半ば圧倒され、半ば魅了される。
スケール氏の屋敷には、他に二人の女性が住んでいた。一人は家政婦役をこなすモール夫人。もう一人は若いミリアム。スピンロビンは一目見るなりミリアムにほれ込んでしまう。
以後、物語はすべてスケール氏の館で展開され、4人以外の登場人物は現れない。これは要するに、物語の展開に関して、外的な動きが限りなく少なくなるということである。記述の大部分がスピンロビンの知覚経験、感情、認知などが占めることになる。
スケール氏はここである実験を行っているのだった。それは「みだりに名を呼ぶことを禁じられている名」を、完璧な発音と和声でもって呼びかけるという実験である。少しでも発音が狂ったり、音程が外れたりすると、大変なことになるが、もし成功すれば完璧な経験をすることになるとスケール氏は保証する。
いくつかの予備的な実験が行われる。スピンロビンは魂の神秘に触れるような経験をする。それは完璧なまでの恍惚を彼にもたらす。彼はスケール氏の実験に全面的に協力しようと望み始める。ミリアムの愛を失っても惜しくないほどにまで思いつめる中で、いよいよ実験の本番を迎えることになる。
さて、スピンロビンの少年時代のエピソード、開巻すぐに語られるエピソードについて触れておこう。彼が「ウインキー」と呼ぶと、小人のウインキーが現れるというエピソードである。これは彼が空想力と創造性に富む人物であるということを示しているだけでなく、彼がアダム側の人間に属することを示しているように思う。アダムが動物の名前を呼ぶと、それがそのままその動物の名前になったというエピソードにつながるものであるように僕は感じた。
一方、スケール氏は、みだりに名を呼ぶことが禁じられている名(これは神の名である)を完璧に呼ぶことで、自分自身を神に到達させようと欲している人物である。ちょうど、神に到達しようとバベルの塔を建立した人たちに属すると言えようか。
本書にはそういう聖書的なテーマがある。
スピンロビンはスケール氏に圧倒され、魅了され、崇拝するようになる。これはスケール氏があまりに偉大に見えているわけであるが、それはスピンロビンに欠けているものをスケール氏が有している乃至は補っているからだろう。つまり、この人といれば自分が超越され完成される、この人のおかげで完璧な経験ができるという存在である。こういう存在者からはなかなか離れることができず、その存在者に没頭することになる。その人がしっかりしていないほど、こういう存在者から離れることができなくなってしまうものだと僕は思う。
スピンロビンをスケール氏の強力な吸引力から引き離したのはミリアムである。いわば、彼はアダム側の人間であって、バベルの塔の建立者側の人間ではないことを、彼に思い出させるような役割である。ここはなかなか感動的なシーンである。二人してスケール氏の館から逃亡する姿は、楽園を追放されたアダムとイブを思い起こさせる。こう言ってもいいかもしれない、タブーを犯してまで神になろうとする生き方を放棄して、彼らは愛と創造の生を送ることになったと。
ストーリーは単純であっても、スピンロビンが経験する恍惚や陶酔、絶頂経験(peak experience)などの描写が秀逸である。外向的な人なら、もっといろんな外的事件が起きる物語の方を好むかと思うけど、内向的な人には十分ウケそうな作品である。少なくとも、僕は面白くかつ興味深く読んだ。
本書の唯我独断的読書評は4つ星半だ。
<テキスト>
『人間和声』(The Human Chord 1910)アルジャーノン・ブラックウッド著
南条竹則 訳 光文社古典新訳文庫
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)