9月21日(金):恥知らず文化
一昔前、日本を調査したルース・ベネディクトは日本を「恥の文化」と称したことは有名なおハナシ。それが今や、こうも恥知らずな文化になったものかと、日本人ながら絶望的な気分になる。
発端は今朝の情報番組だ。北海道の震災被災地で記念撮影する人たちの報道を見たときに経験した気分だ。液状化現象で傾斜した家屋の前で楽しげに記念撮影しているけど、その家で自分たちの同国人が生活していたのである。同胞に対して、仲間に対して、よくそういうことができるな。
こういう気分は、過去にはバカッター連中やお騒がせユーチューバー連中のニュースでも経験した。目の前が暗くなる思いが僕にはする。
日本的な意味での恥とは、そういう姿を晒すところにある。人前に出るのが恥ずかしくてまごついている子供(これは僕のことだ)は、本当には恥を知っていないのである。そうしてまごついている姿を晒しているということが恥なのだ。対人恐怖とか、それによるひきこもりとか、その姿が恥になるのだ。恥に人一倍敏感であるそういう人たちが、実は恥に最も鈍感であるかもしれない。
さて、朝のワイドショーを見ていたおかげで、せっかく早起きしたのに、いつもより少し遅く家を出た。電車を一本乗り過ごしてしまい、乗り換えでさらに時間を費やした。こうして、9時に職場に到着している予定であったのが、9時半近くに到着した。しかも10時から面接である。さらに、留守電ランプが点滅している。
この30分で面接の準備をし、掃除をし、留守電の相手に電話をしてと、実にバタバタであった。おまけに、今日は足が痛い。終日ビッコを引きっぱなしであった。
今日は午前と夕方以降に予定が入っている。その間は割りと時間的に余裕がある。少しばかり買い物に出た他は、職場に篭って読書をする。ついでに足も休める。
IT関連の営業より電話が入る。サイト運営のコンサルみたいなことをやっているようだ。今の僕には不要だ。僕のサイトは広く見てもらおうとは考えていない。パッと見て、こんなサイトは御免蒙るということであれば、それでいい。そういう人は僕のサイトなんかで時間を取らずに、さっさとその人のお気に入りのサイトに移ってもらってけっこうである。要するに、ユーザーを選びたいのだ。本当に興味を持って、内容を読むだけの根気を持っている人にだけ入ってもらえればいいのだ。加えて、フォロワーが欲しいとも僕は思わない。フォローする人は、その人の気が済むところまでフォローなされば良い。永遠についてきて欲しいなどと、僕は要求しない。
時刻は15時。今日はまだ終わっていないのに今日のブログを書いておく。簡単に言えばズボラをしているわけだ。
窓外を見ると、天気も好くなった。いいことだ。雨模様のどんよりした気分が解消される思いがする。まだ今日は残されている。できることはたくさんある。
そろそろ次の仕事へ、気持ちを切り替えていこう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)