1月1日(1):新年の初日

1月1日(土):新年の初日

 

 謹賀新年

 

 新しい年を迎えた。飛躍の年にしたい気持ち半分、きっと厳しいだろうなあという暗い予測半分だ。

 

 昨夜は早く寝るつもりであったのに、結局4時半頃まで本を読んで過ごしてしまう。そのため、朝は少々寝坊してしまう。休日でもできるだけ普段の生活習慣を維持しようと思うのだけれど、なかなかうまくいかないものだ。

 ゆっくり朝食をとり、家の手伝いを少しばかりこなす。ニューイヤー駅伝が始まってたな。両親がテレビで観るのだ。駅伝とかマラソンとかは見たくない。見ているとしんどくなってくる。だから家を出る。

 

 高槻に出る。

 元日の昼間なのに人が少ないという印象を受けた。いや、この時間はこんなものかもしれない。家族連れが目立つ。

 昼前に高槻に到着する。すぐに清掃の準備にかかる。12月は足の痛みで半分は動けなかったから大掃除も半分しかできていない。いや、半分以下だな。年を越しても年末大掃除を続けている。

 掃除に二時間、勉強に二時間、その他諸々の事務作業等をこなす。昼前に到着して夕方には職場を後にする。もっとやってもよかったけれど、一度にたくさんやって体にガタが来てもよくないのでセーブしながら動かなければならない。今日はそれくらいで勘弁しておいてやろう。

 文学を読みたいと思い、ヘンリー・ジェームズの『大使たち』をチョイス。この規模の大きい長編小説は非常に難解な内容で、以前読んだときはあまり印象に残らなかった。それが心残りであった。今回はきちんと自分のものにしようと取り組んでみるも、まあ前回同様の結果に終わりそうだ。しかし、読み始めると、ついつい読んでしまう。マライア・ゴストリーが魅力的だ。

 

 電車に乗って帰宅。高槻から京都までは乗客はまばらな感じだった。京都についてからものすごく大勢の人とすれ違った。きっと初詣の帰りの人たちなんだろう。これから大阪方面に向かって帰るのだろう。あれに遭遇しないように注意していたのに遭遇してしまった。オミクロン株の感染が拡大するはずだ。

 帰宅後は夕食をとり、ジャネを読む。少し復習したいことがあって『被害妄想』を読み始める。今回、この本には三日かけよう。

 最近、そういうことを自分に決める。一冊の本を読むときにも、これを三日で読むとか、20時間で頭に叩き込むとか、そんなふうに時間制限を自分に課す。それが守れなくてもペナルティがあるわけではないけれど、制限を課すとテンションが高まる。集中しようという気になるし、時間を無駄にしないでおこうという気持ちにもなる。なかなかいい方法だと感じるようになった。

 

 22時からパソコンに向かう。パソコン作業は一日の限られた時間に制限しようとしている。ダラダラと長時間パソコンとにらめっこしたくないという気持ちが強いのである。何時から何時までと時間を決め、その間にできるだけの作業をこなす。

 そうして今このブログを書くに至った次第である。

 

 一日を振り返ると、達成したという感じは皆無であるけれど、前に進んだという感覚はしっかりある。それでいいと思う。人生はあまりにも短い。生きている間に前に進んでおかなければならない。人生を空費すること、それが取り返しのつかない後悔につながるのだ。その後悔は罪意識に、そして死に対する恐れへと発展していく。死を拒絶する気持ちが高まるほど、生が空洞化していく。死の拒絶が生を侵食するからである。まあ、今日はもうそんな話は止しておこう。そこを考えだすと朝まで起きていなければならなくなるからである。

 ともかく、今日も僕なりにしっかり生きた。僕の中ではそれで十分だ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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