8月4日:禁煙の店

8月4日(土):禁煙の店

 一日の仕事を終える。職場を後にして外に出る。駅の辺りがやたらと人が多いなと思ったら、そうか、今日は高槻祭りの日だった。

 ああ、失敗した。祭りの最中に駅に行っていたかった。ちょうど祭りが終わる時間帯に駅に行ってしまったのだ。

 この人ごみは本当に苦手だ。小っちゃい子供がウロチョロしていると、ホンマ、見えないので、怖いのだ。何度か子供と衝突しそうになる。

 ここでイライラしてしまう。改札口を通るのにも難儀する。子供が通路を塞いでいたりするのだ。頼む、速やかに電車に乗らせてくれと内心で思う。

 電車に乗り、実家近くの駅で降りる。こんな日はワインでもと思う。

 それで近くのサイゼリアに行く。実家近くではここしかない。何度かここも利用したことがある。喫煙可の店だった。

 店に入ると、店員さんが来る。喫煙席を希望すると、全席禁煙になっていますという返事が返ってきた。高槻のサイゼリアはまだ喫煙席があり、あまりきちんとされてないけど、一応、分煙になっている。いずれはどことも禁煙になるのだろう。

 それはともかくとして、全席禁煙と言うならば、仕方がない、諦めるだけだ。全席禁煙にするのはいいとしても、どこかに一箇所くらい喫煙場を設けて欲しいものである。喫煙自体は法律違反でも何でもないはずなのに。

 結局、その近くの居酒屋でビールを二本飲んで帰宅。ちなみに、ここは喫煙可である。

 そう言えば、喫煙者は肩身が狭いでしょうとある非喫煙者の女性に言われたのを思い出した。僕自身は「そうかな?」と思うくらいだ。他の喫煙者たちがどうかは知らない。でも、非喫煙者からすると、肩身が狭いように見えているのだろう。

 僕にはそんな経験はない。そこが禁煙の店なら諦めたらいいだけのことだ。もしくは喫煙可の他所に行くだけのことだ。それは決して肩身が狭いという経験ではない。

 阪急電車でも、いくつかの駅では喫煙場所が設けられている。それに最近、高槻の駅周囲に喫煙場が設けられている。そこまで行けばいいだけのことだ。そこで吸ってから移動すればいいだけのことだ。

 肩身が狭いのはむしろ非喫煙者の方ではなかろうか。店に行くたびに、ここは禁煙だろうかと事前に調べたりとか、案内された席の近くに喫煙者がいないだろうかとか、喫煙者の風上に回らなければならないとか、そんなことを一々気にかける方が肩身が狭いように僕には思われるのだけど、いかがなものだろうか。

 つまり、こういうことである。喫煙者は非喫煙者の存在を意識しないけど、非喫煙者は喫煙者の存在を常に意識しているということである。喫煙は体に悪いとは言われるけど、非喫煙者のその過剰な意識は果たして精神にとって良いものだろうか。

 何となく煮え切らない。高槻祭りは明日もある。なんで二日続けてやるのか不明である。明日は今日のような失敗をしないようにしよう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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