1月10日:久しぶりのバイト

1月10日(火):久しぶりのバイト

 

 今日は火曜日で定休日だ。高槻には行かない。その代わり、家でサイト作業をする。

 

 夕方から工場のバイトに向かう。年末年始を挟んで2週間ぶりの出勤だ。ブランクが空くと、何というのか、出勤するのにも緊張する。拒否したい気持ちはないものの、仕事ができるかどうかという不安に何度も襲われる。家を出てから、休みの間に少し復習しておいた方がよかったと後悔する。

 工場の辺りに来るのも久しぶりだ。なんとか以前の感覚を思い出したいと思う。些細なことでも意識して思い出そうと努める。いつも喫煙するコンビニで今日も喫煙する。できるだけ以前と同じ習慣でいこうと務める。

 工場に着いてからも意識して以前と同じようにしようと務める。そうして仕事に臨む。

 結論を言うと、まあまあ良かった。社員さんたちも仕事始めから日が経っていないらしく、工場全体がすべて稼働しているわけでもなかった。社員さんたちにも余裕があるし、さほど忙しくもないしで、穏やかな空気の中で仕事ができた。皆さん親切である。カリカリしている時のその人を普段からそういう人だなどと思い込んではいけない、と改めて思った。

 

 工場の方は今は暇である。仕事が少ないそうである。

 半導体が世界的に不足していると報道されていたから、半導体を作る工場は間違いなく忙しいに違いないなどと信じていた。でも、僕の読みが浅かったようだ。半導体が不足していようと、その半導体を使って製品を製造するメーカーに仕事がないのであれば、同じことなのだ。

 工場全体がヒマなので、僕の出勤日もかなり削られている。厳しい状況が相変わらず続きそうである。

 

 コンビニの方も思っていたほど忙しくならない。本業も、二つのアルバイトも、すべて忙しくなってもらわないとやりきれない。労働基準法なんてものは、もっと仕事をしたい人間からすれば邪魔でしかない。

 これはコンビニの方で実感するのだけれど、雇用を拡充しても、仕事がないのであれば意味がない。20人くらいで回すことのできるシフトなのに、30人も従業員がいるとしよう。20人分の仕事を30人で分けるのだから、一人当たりの仕事は少なくなる。それだけ賃金も増えなくなるということだ。

 では20人分の仕事を30人で均等に分けるのかというと、そうもいかない。結局、この30人の間でヒエラルキーが生まれるのだ。重宝される従業員と、さほどでもない従業員とが生まれる。要するに、一軍と二軍のような区別が生まれてしまうのだ。

 今、僕は一つ確信しているのだけれど、バイトテロを起こすような人はまず二軍に属する人たちだ。責任ある仕事を任してもらえず、一軍の補佐的な立場であったり、人がいない時の補充用員であったりするのだ。常にあてにされているわけでもなく、特定の状況の時だけあてにされるような立場の人たちである。そうであるとすれば、腐りたくなる気持ちも分からんでもない。雇用側の都合で振り回されることになるのである。バイトテロをする人も、案外、かわいそうな人であるのかもしれない。だからと言って、バイトテロ行為を許容するわけではないが。

 さらに、二軍入ってしまうとなかなか一軍上がる機会が得られなくなると僕は感じているその一軍人が抜けない限りつまり、一軍人が居続ける限り一軍上がることは期待できそうにないということだ。もし、それ以外に上がる機会があるとすれば、それは仕事が増えることである30人30人分仕事をするようになることである。でも、これもまた期待薄である。なかなか貧困から抜け出せないはずである。本人の努力云々とは別に、そういう状況が出来上がってしまっているのだ。

 

 さて、とにかく一日が終わった。久しぶりの工場でも、特にトラブルもなく、困ったことも起きず、なんとかやり終えた。心配していたようなことは何も起きなかった。取り越し苦労も、少しは必要だけれど、あまり過度のものにならないようにしたいものだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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