7月29日:失言議員

7月29日(日):失言議員

 朝、報道番組を見ていたところ、ある議員の発言が問題になっているということを知った。よくある議員の失言だろうと思って聴いていたが、内容は以下のようなことであるらしい。

 その議員は性的少数者を指して、子供を産めない彼らは「生産性」がないと言い、彼らに対して税金を投入する意味があるのかと話したということらしい。

 この議員を弁護するつもりもないし、醸している物議に参入するつもりも、僕にはないのだけど、この議員の発言は論理を逸脱しているように思った。

 例えば、同性愛者どうしでは妊娠できないということであれば、それは「生産性」の問題とは言わずに「生殖性」の問題と言わなければならない。

そして、彼らが子供を産むことができないということは、例えば少子化問題にとっては大きな課題になるだろう。この理論は筋が通っていると僕は思う。少子化問題における同性愛者の問題その非「生殖性」にあるとすれば、これは一応理論として成り立つと思う。

 しかし、これが税金投入の問題になっている点に飛躍がある。もし、税金未納者に対して、その人たちに税金を投入することの是非を問題にするなら、これも一応は頷ける。ところが、性的少数者であろうと、一般国民生活を送っている以上、彼らも納税者のはずである。納税者である国民に対して税金投入の是非を問うことは、本末転倒ではないだろうか。

 でも、政治がらみの話は止めよう。門外漢が口出ししたところでお叱りを受けるだけだ。僕はこの議員の思考様式を取り上げたい。この一連の発言は以下の4要素で構成されている。

 まず、①子供を産めないということ。そのことをこの議員はかなりマイナスなこととして捉えているようだ。そこに大きく価値を置いているようだ。それは個人の価値観なので、それの良し悪しということは問わないことにしよう。それに出産とか育児がこの議員にとってどういう意味があるのかもここでは不問にしておこう。

 ②子供を産めないのは同性愛者だけに限らないはずである。身体的な問題で子供が産めないという人もあるし、生涯独身の人だってある。この議員は、それに該当する人たちのうちの特定の人だけをこの問題(子供を産めない)に結合させていることになる。

 ③子供を産めないということが、イコール「生産性がない」という結論になっている。「生産性」とは実に幅広い概念である。僕がこうして考えたことを文章化している、これも生産的活動である。どの人もある面では「生産性」が高いだろうし、他の面では「非生産的」であるかもしれない。つまり、「生産性がない」と言ってしまえば、これはどの人にも該当してしまうのではないかと思う。②と同じで、幅広く該当する人たちから特定の人たちだけを結合させているのだ。しかし、この議員の言うところでは、「生産性」とは「出産」のことである。先述のように、これは「生殖性」ということである。「生殖性」は「生産性」にすりかえられているが、「生殖性」に関する事柄に抵抗が働いているように思う。

 ④税金投入の妥当性という問題。ここで思考が大きく外れることになる。税金を投入する価値がないという人がいるとすれば、それはどういう種類の人たちなのだろうか、僕には分からないけど、この議員の中では何らかの定義があるのかもしれない。その辺りのことは分からないので置いておくとして、もし、「こういう人たちに税金を投入するのは私は反対だ」と個人的な意見を表明していれば、同じように物議を醸し出していたとしても、もう少し話はまとまっただろうと思う。つまり、問題となるのは、「私は反対だ」という主張が「彼らにその価値がない」という形で主題のすり替えが起きていることである。

 まあ、一議員の失言をあれこれ考えてもしょうがないか。こういうことを語りだすと、キリがなくなる。それに、この人の発言をすべて知っているわけではない。限られた情報に基づいて僕が勝手に推論しているだけである。だから僕の推論は偏っているだろう。僕の推論においては、この人の論法には背理が多く含まれており、思考過程には滅裂なところが感じられており、この滅裂さというのは、いくつもの観念が圧縮されることに起因するようだ。そして、このような圧縮が生じるのは、この人が一次過程の思考様式に退行していることが可能性としてあるかもしれない。そうだとすれば、この人はあまり精神状態がよろしくないかもしれない、現実適応がかなり難しくなっているかもしれない。と、この人がクライアントであれば、僕はそのように考えるだろう。

 さて、失言のことで分量を費やしてしまった。いつものブログの感じに戻そう。

 今日は、ブログの公開をした。6月21日から昨日までの20数件をアップした。パソコンの不調やサイト更新ページのトラブルなどに見舞われたが、何回かに分け、トータル4時間ほどかけて、どうにか溜まっていたブログはすべて今日中に公開できた。

 ブログの公開もこまめにやるといいのだけど、ある程度まとめてアップした方が効率がいいのだ。その葛藤に悩む。そして、ある程度溜まるまで間を空けると、今度は公開作業が億劫に感じられてくるのだ。本当に困ったものである。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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