6月29日:執念

6月29日(金):執念

 朝4時頃、左足の裏から脛にかけて引きつるような痛みで目が覚める。両サイドから神経を引っ張られるようなキリキリした痛みが暫く続いた。

そこからもう一度寝ようと思ったけど、もうダメだ。目が覚めてしまった。おかげで今日は寝不足だ。

 最近、金曜日はさほど忙しくない。そのこともあって、少々寝不足でも気にならなかった。忙しい日にこんな調子だと、寝不足であることが不安材料になって仕方がなかっただろうと思う。

 午後、NHKの人が来た。なんでウチなんかに来るのだろう。テレビの有無を確認して、テレビ設置の際は連絡するようにということだった。

 その前にNHKはウチに対してやることがあるだろう。もう十年近く前になるか、NHKの集金のオバハンがウチのところに来た。

 当時、テレビが置いてあった。しかし、このテレビはテレビ番組を見る目的ではなく、放送大学の講義やドキュメンタリー番組などの録画VTRを見るために置いていたものだ。テレビ番組を見てもいいのだけど、基本的に、日中の番組は見ない。それが習慣になっている。

 オバハンは集金に来たのだ。僕は、このテレビはビデオを見るモニターとして使用しているものだと説明する。オバハンはそれでも払うものは払えと引き下がらない。少々の口論の末、オバハンの言うところでは、テレビを一台でも部屋に置いたらNHKに料金を払う義務が生まれるということだった。ムチャクチャな理屈やな。

 僕も頭に来て、テレビを置くだけで料金がかかるんなら、もうこのテレビは撤去するわ。と断言した。オバハンも次に来た時に撤去されてなかったら料金を徴収すると捨て台詞を吐いて帰った。

 僕はテレビを撤去した。別に構わない。どうせじきにアナログ放送は終了して、このテレビでは観れなくなるのだから。

 僕は約束どおりテレビを撤去した。オバハンは確認に来ない。未だに僕はオバハンが来て、確かにテレビが撤去されているのを確認してもらうつもりでいる。

 NHKは、まず、あの時のオバハンを寄こすべきではないのか。

 こういうところでは僕は執念深いかも。

 開業した初期の頃だ。電話のことで来た業者があった。ウチに迷惑をかけたら、この窓から飛び降りますと豪語した営業マンだった。案の定、迷惑をかけてくれた。その時の営業マンのDを出せと、その会社に文句を言った。Dは降格したと彼の上司から窺ったが、そんなことは関係がないのだ。早くこの窓から飛び降りに来んかい、ということだ。

 あれから13年、未だに僕はDがこの3階の窓から飛び降りに来るのを待っている。

 どちらのケースも、僕のほうからそうして欲しいなどと頼んだわけではないのだ。向こうからこれこれのことをしますと言ってきているわけだ。後日確認に来るといったオバハンも、ここから飛び降りると言ったDも、彼らの方からそれを言い出しているわけだ。じゃあ、僕は相手がそれをするのを待ちますよということになるのだ。

 僕は近頃、自分がもう長くないという強迫観念に襲われている。あと数年の命しかないような気持ちに襲われている。(自分が)やると言ってやっていなかったことや、(相手が)やってくれると言ってやってくれなかったことなんかがあると、心残りでしょうがない。生きている間に実現させ、終わらせたいものだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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