6月2日(土):ストーリー
腰痛が激しい。すごく痛む。それでも予定の仕事はこなさないと。
午後からのクライアントが変更となった。最近、この種の変更が多い。でも、ありがたい。横になって、安静にさせてもらう。
すると、夕方のクライアントも変更の可能性ありという電話が入る。立て続けに変更されてたまるかと思い、どうにか来ることができないかと求める。なんとか、夕方のクライアントの面接は実現した。
午後の安静が良かった。夕方はあまり腰痛を意識しなくて済んだ。徐々に快復していきそうな兆しが見える。
本当に、この身体だけは、どうしようもないな。
全般的に調子はよろしくない。僕自身がよろしくないのだ。その上、次から次へとやらなければならないこと、やった方がよいことなどが降りかかってくる。予定の目白押しである。これを本当にこなせるのか、僕には自信がない。
かように、弱気になっている自分を発見する。以前のような覇気がない。そのくせ、クライアントにはかなりキツイ人間に見えているようだ。
僕自身はクライアントに厳しいことを言いたくはないのだけど、緩やかなことも言ってられない。離婚間際の人、今にも会社をくびになりそうな人、経済的に破綻寸前の人なんかを前にすると、厳しいことも言わなければならなくなる。彼らの状況に余裕が許されないのだ。
結局、彼らも苦しい状況を生きている。僕も同じだ。ともに助け合っている感じがしている。彼らの状況は僕の状況でもある。決して、他人事ではないのだ。
僕もこのままダメになっていく。なんとなく自分でそれが分かるのだ。ついに分裂病が来たかという気がしている。ダメになるなら、それはそれで、最後までやってみよう。僕の最後がどんなものになるか見届けてみたい。
多分、現実逃避の一環なのだろう、最近、小説を書いてみたくなっている。ネタはある。いくつかのストーリーがある。まだまだ洗練していかなければならないけど、一応、物語が僕の中にある。これを書いてみるのも面白いかもしれない、そんな気持ちになることがある。
いっそのこと、出版する書籍は短編小説集にしようかなどとも思い始めている。僕のカウンセリング論など、誰も読みたがらないだろう。
クライアントたちにはストーリーがある。人それぞれにある。クライアントのことを、僕はストーリーとして覚えていることが多い。あの人は、こういう物語を生きた人だったなといった具合に。そう考えると、僕の中には、今まで出会ったクライアントの数だけ物語があるということだ。もしかすると、それは僕の財産かもしれない。
自分の中にある物語を練る。それは一人のクライアントのことを考える作業と変わりがない。最近、そのことに気づいた。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)