2月7日:予知されていたキャンセル

2月7日(水):予知されていたキャンセル

 

 今回、風邪と歯のことが重なった。本当なら今日の朝の仕事が昨日に移動したので、そこで今日の朝に歯医者に行くことにした。

 奥歯が一本外れそうになっている。親不知になるのだろうか、とにかく、抜いてもいい歯だと以前に言われたことがある歯だ。自然に抜けてくれたらいいのだけど、抜けそうで抜けない。それに、歯が動くたびに痛い。食べることも話すことも、それによって支障がある。やはり抜いてもらった方がいいと決めたわけだ。

 子供の頃から利用している歯医者さんがある。そこに行く。ポンと引っこ抜いて、それで終わるだろうと思っていたら、根本から、けっこう本格的に抜歯してくれた。

 まあ、歯科治療はイヤなものだ。好きな人なんていないだろうと思う。歯茎に麻酔を打たれて、それがけっこう痛いのだ。でも、歯茎の奥がズキズキする感覚は満更イヤでもなかったりする。

 それはさておき、少しばかり歯のケアのことも改めないといけないなと思い始める。定期的に歯科医に通おうかとも思い始めている。そんなに悪い経験ではなかった。

 

 近所で買い物を済ませて、それから職場へと向かう。

 午後からは仕事が入っている。その仕事を終えてから昼食にしようと決める。食事が禁止されているわけではないけど、麻酔が残っている間は上手く咀嚼できないかもしれないということなので、昼食を遅らせることにしたわけだ。

 午後のクライアントが来るまで書き物をして過ごす。14時からのクライアントだ。書き物に夢中になって、いつしか14時を過ぎていた。不思議なもので(何も不思議ではないのだけど)、そのクライアントのことをこれっぽちも考えていなかった。

 僕はどこかでこの人が来ないことを知っていた。これも今日気づいたことであるが、僕は一週間の予定から、今週の収益を計算する習慣がある。昨日、これをやった時(僕の一週間は水曜日から始まるためだ)、僕はこの人のことを数に入れていなかったことに気づいた。無断キャンセルがあったから計算が狂うなと思って、計算をし直したところ、計算が狂っていないことが分かり、そこでこの人を最初から数に入れていないことに気づいた次第である。

 30年もあちこちで治療をやってきて、治らなかったという人だ。この人が治るためには、この人が治そうとしているその姿勢を改めなければならないと僕は考えている。そこで、このカウンセリング(治療)が、彼に無意味に映らなければならないと考えていた。そこで彼がこれまでしてきたと思われる治療姿勢をことごとく禁止するという方策を採った。

当初の予定では、治療や症状のことを彼が少しでも口にすれば、即座に話を中断させるくらいでやろうと考えていた。さすがに、いきなりそこまでやるのは行き過ぎかと思い、幾分遠慮したのだけど、今から思うと、最初からそこまでやっておけば良かったとも思う。

 治療や症状について話し合う。これは彼の意識と適合するのである。彼にとっては、それは意味のある活動であるだろう。僕はそれを禁じる。彼の意識と適合しない話を彼に求める。彼にとっては無意味に映る。つまり、彼にとって非合理に思われる作業をしていくことになる。それによって、彼の病的合理主義に抵抗しようという試みである。

 こんなことを書いて大丈夫かと思われそうだけど、僕はその人が僕のところのサイトを読んでいないことを知っているし、今後とも彼がこの文章を見ることはないだろうと思う。

 

 その人が来ないのであれば、これ以上、昼食を遅らせる必要もないわけだ。そう思い立つと、持参の弁当をさっさと平らげる。抜歯した方では噛めないけど、久しぶりにちゃんとした食事をしたような気持になった。

 夜、少し早く切り上げて、買い物に行く。明日にしてもいいのだけど、何でも前倒しでやっていこうと思う。

 久しぶりに夜の京都を歩く。あまりいいこともない。古書店で本を買う(つい買ってしまった)。

 帰宅後、購入した本を一冊読み終える。もう1回再読してから読書評に上げようなどと考えている。

 以上、今日はこんな一日だった。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

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