1月10日(水):読みの日
水曜日のレギュラークライアントが今週は昨日来られたので、お陰で空き時間が生まれた。
何か書こうかと思ったが、言葉が思うように出てこない。ああ、よく罹るアレだなと、僕には分かる。こういう時は何も書けないし、書いたとしても支離滅裂なものになる。それが分かっているので、書くほうは断念する。
いや、ここ数日、それが感じられていた。言おうと思うことが頭に浮かんでも、それが上手く言葉に乗ってくれないのだ。何か中途半端な言い方になってしまう。
書くことができない時は読むに限る。
それで何かを読み始めようとするが、どうも気が乗らない。こういう時はミステリが一番だ。ということで、ミステリマガジンから数編の短編を読む。
たまたまリング・ラードナーの短編を読んだ。そうだ、ラードナーにしようと思い、途中から「アリバイ・アイク」に切り替え、数編読んだ。
リング・ラードナーは好きな作家の一人だけど、何かの拍子に思い出す程度で、思い出すと無性に読みたくなるという位置づけの作家だ。もちろん、僕の中での位置づけだ。
今日一日でどれくらい読んだだろう。短編が11話、サイトの原稿が20件ほど、その他細々と拾い読みした論文、合わせてどれくらいになるだろう。分からないけど、今日は読みの日となった。
とにかく寒い。寒さが堪える。独りの時はエアコンを使わないようにしているのだけど、今日はさすがに耐えられなかった。手もかじかんで、ページを繰るのも手間取った時があった。
そうだ、昨夜は飲み友達と会って、飲んだのだった。その時、成人式の振り袖事件のことを彼が話した。僕は僕の持論、つまり昨日のこのブログで書いたような持論を展開してみたが、彼はその通りだなと納得した。どうやらそれほど筋違いのことを書いたのではなさそうだと思い、安堵する。
大人になるとは、ある意味では、詐欺とか、そういう犯罪に対して、無防備で臨むことでもあると思う。世の中には悪いことを考える人もいるし、親や学校が守ってくれるわけではないのだ。辛酸をなめることなど、いくら経験することになるやら分からないものだ。
僕も昔、人に騙されたことがある。周囲の反応は「騙される方が悪い」で、それでお終いだった。そういう反応になるんだろうなと思った。多分、それが世の中なんだと、生きることなんだと、僕は学んだように思う。もっとも、学ぶのが遅かったかもしれないけど。
20歳でそれが学べるのであれば、それは貴重な教訓となると思う。
さて、そろそろサイトの更新のことを考えないと。10日から14日くらいで一回〆て、公開していこうと思う。
旧パソコンと家のパソコンに分散している原稿を一つにまとめないと。それで、今日は家のパソコンを持ち込んで、書いたものを読み直したりもした。ブログのほうは問題ないけど、サイト側の原稿に難ありだ。とりあえず、修正してみるが、公開を見送る可能性もある。順序が前後しても、できたものだけ公開していこう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)