11月1日(金):プレイセラピーやってませんか?
最近は余計なことは言わないようにしている。言いたいことがあっても言わないようにしている。言えなかったことはブログに書く。くどくど言うよりかはいいだろう。
昨日、一件の電話があった。相手は女性で母親である。この人の発言全体を取り上げることは控えるのだけれど、のっけから神経症的な傾向を示していた。まあ、それは脇へ置いておこう。
この母親の用件は、要するに、プレイセラピーをやっているかというものである。母親からすれば真剣なんだろうけれど、僕からすればもっともどうでもいい問い合わせである。プレイセラピーなんかで検索すれば、僕の所なんか絶対にヒットしないはずである。もしくは児童相談所とか教育機関なんかに尋ねた方がましである。そういう所の方が情報があるだろうと思う。
さて、何歳くらいの子供であるかは分からない。男の子なのか女の子なのかも不明である。この子がプレイセラピーを受けることになったとしよう。どういう結果が予想されるだろうか。
一番望ましいのは、そのプレイセラピーが子供にとって良い経験となり、この子が改善することである。しかし、そのためにはこのプレイセラピーが母親とは独立していなければならないだろう。つまり、母親の期待とか思惑とか、そういうものの入り込まない状況でセラピーが成立している必要があるだろうと思う。要するに母親抜きで子供のセラピーが実施されることである。
二番目に望ましいのは、プレイセラピーを受けた結果、この子が悪化することである。前よりも悪くなることである。母親にとっては望ましくないことであるかもしれないが、この子の中では正常なことが起きているかもしれない。
もっとも望ましくないのは、この子がプレイセラピーに「順応」することである。これは母親に順応するという意味になる。この場合、この子は見せかけの「治癒」を表わすだろう。表面的に改善したようになるわけだ。この表面的改善は、この子本来のものではなく、母親の期待なのである。
では、最悪の結果を回避して、望ましい結果に至るためには何が必要であろうか。それはセラピーに対する母親の態度が変わることである。
この母親は我が子にプレイセラピーが必要だと信じている。なぜそのように信じるようになったのかは僕には分からない。何かで知ったとか誰かから入れ知恵されたとかいうこともあるかもしれない。
しかし、次の点が重要である。この子に必要なのがプレイセラピーなのか、描画療法なのか、箱庭療法なのか、それを決定するのは母親ではないという点である。臨床家側がその決定をするのである。つまり、母親の方が治療法を決定しているところがおかしいわけである。もちろん、専門家ではないので母親もそんなに詳しいわけではないだろうから、それを咎めるつもりは僕にはない。
もう少し詳しく言うと、母親は臨床家に対して決定しているだけでなく、子供に対しても決定しているのである。臨床家が決定すること、子供が決定すること、そのどちらに対しても母親が決定している、もしくはしようとしているのである。
母親のこの態度が問題になるわけである。そして、子供のセラピーの成果にも母親の態度が影響するわけである。
ああ、言いたいことが言えて、気持ちが鎮まった。こういう母親は再び僕のサイトを見ることはないので、自由に書かせてもらった。そもそも最初からウチのサイトを見て電話をしたのかどうかも疑問である。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)