9月29日:自分本位の客

9月29日(日):自分本位の客

 

 今日は午前中は家の用事があって不在にしていた。午後から職場に向かい、仕事をする。昼飯抜きで朝からぶっ続けで活動したので、けっこうな疲労具合だ。おまけに体調もあまりよろしくない。

 昨夜はいきつけの呑み屋主催のBBQ会に参加した。今年二回目である。ずっと屋外にいたせいか、もしかすると風邪でもひいたかもしれない。まあ、会そのものは楽しかったのではあるが。

 それで今日はその会費を払いに行かなければならなかった。いつでもいいとは言ってくれるだろうけれど、できるだけ早いに越したことはないと思う。それに後回しにすると負担になるかもしれないからである。

 仕事を終え、職場を後にする。少し夕飯を食べてから、その呑み屋に向かう。

 

 その道中、昔の飲み仲間と出くわす。道端で彼と立ち話をして過ごす。最近ブログ書いてないやんと彼から言われる。ありがたいことにウチのブログを読んでくれているらしい。今日のブログはそのアンサーのつもりで書いている。

 呑み屋に到着。どうしても一杯は飲まなくてはなるまい。支払いだけして帰るというわけにはいかない。若い頃に僕はそのことを学んだ。

 

 僕が20代の前半だった頃だ。冬だった。僕はマフラーを失えたのだった。それで昨夜行った呑み屋さんに電話してみると、マフラーを預かっているとのこと。やはり飲みに行って、お店に忘れてきたのだった。僕は今晩取りに行くと伝えると、店主も分かったと返事する。

 夜になって、僕はその店に行く。店主はすぐにマフラーを渡してくれた。僕はお礼を言って店を出ようとした。すると店主から、「お前、忘れ物だけ取りに来たんか、呑み屋に来てなんも飲まずに帰る気か」と凄まれてしまった。

 僕は最初はムッとした。忘れ物を取りに来ただけやけど、それの何がアカンねんと思ったのである。しかし、その場は店主の言うことに従って、1,2杯だけ飲んだ。

 後になって、よく考えてみると、店主の言っていることの方が正しいように思えてきた。と言うのは、他のお客さんの手前、店主としても顔を立てなければならなかっただろうし、僕もまた自分のことだけを考えすぎていたように思うからだ。いずれにしても、店に行って、何も買わずに、自分の用件だけを済ませるっていうのは自分本位なことだということが理解できるようになった。その自分本位は、別に犯罪であるわけではないのだけれど、お店の看板に泥を塗る行為であり、店主や店員の顔を潰す行為につながるものだと思うようになった。つまり、礼儀作法に反する行いであるわけだ。

 僕は若い時分にそれを学ぶ機会を得ることができた。結果的に良かったことだと今でも思っている。

 その後、アルバイトの経験の中でも、また、独立してからの経験の中でも、こうした自分本位のお客さんと遭遇することは多々あった。そういう人たちを蔑視する気持ちはない。ただ、彼らは不幸にもそれを学ぶ機会を得られなかったのだと思う。そして、こういうことは、自分で気づくことは難しく、教えられなければ分からないことであり、経験してみなければ見えないことなのだと思う。

 今でも僕はそれを守っている。コンビニでトイレでも借りた場合、必ずそのお店で何かを買う。缶コーヒーでもガムでもなんてもいいんだけれど、トイレだけを借りるということはしない。

 パチンコ店でもよくトイレを借りる。一年に一回だけ、1000円だけ、そのお店でパチンコを打つ。これは日ごろのトイレ使用料のつもりである。もっとも、今はそれもしなくなって、トイレを借りた時に、そのパチンコ店内にある喫茶なんかを利用して、そこでお金を落とすようになっている。

 また、今はこれはしなくなったけれど、本屋さんの立ち読みもそうだ。立ち読みをしたら、その店で何か週刊誌でもいいから一冊買っていく。立ち読みだけして帰るということはしない。

 僕はそのお店の客である。客なら何をしてもいいという考え方はご法度である。客であるからその店ないしは店主・店員の顔を立てるのである。もっとも。僕にできる範囲でという限界はあるんだけど。

 

 さて、話を戻そう。僕はその呑み屋さんに昨夜の会費を支払うつもりでいた。支払いだけ済ませれば、道端で会った飲み友達と付き合うこともできるのだけれど、やはりそういうわけにはいかない。会費を支払いにそのお店に行けば、そのお店で多少とも飲まなくてはならない。会費だけ払って、ほな、さいなら、ということは僕にはできないのである。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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