7月12日:島根へ

7月12日(金):島根へ

 

 今年も島根へ行く。両親は今年が最後かもしれないと言っていたが、最後になるなら最後になっても構わない。僕は僕の目的のために行く。

 それで、今日は夕方まで仕事をして、それから少しだけ買い出しする。バーのマスターとヒョッコリ遭遇する。駅前で少しばかり雑談をする。両親と島根へ行くのも最後になるかもしれないという思いが残っていたのか、何となく、そのマスターと会うのも、そのバーに顔を出すのも、最後かもしれないといった気持ちを覚える。

 いつもより早めに帰宅して、準備する。大した準備は要らない。着替えだけで十分だ。それとパソコン。本は一冊だけ、ジャネの講義集を鞄につめる。あと、写真を撮りたいので久しぶりにスマフォを持つ。以上だ。

 母が帰宅して、それから出発となった。20時半頃だ。

 

 夜の街を車で走る。僕は運転できないので、運転はすべて父がする。僕と母は乗っているだけだ。

 街の景色がきれいだ。夜のドライブってのもなかなかいいもんだと思う。

 高速に入る。景色がほとんど見えないので、僕はひたすらパソコンで音楽を聴く。CDをパソコンに取り込んである。みんな去年以前に買ったCDだ。今年に入って、CDは買っていない。そろそろ新しいのを聴きたいという気持ちに襲われた。今、所持しているCDには飽きがきている。

 去年と比べると、車中では音楽をそれほど聴かなかった。

 道中、幾度となくサービスエリア等に入って休憩する。父がずっと運転するのはキツイと言う。僕は一向に構わない。いくらでも休憩を挟んでくれていい。深夜はヒンヤリして心地よかった。

 こういうのもいいなと、毎回のように、思っている。深夜にドライブに出て、サービスエリアなんかで夜を過ごすっていうのも悪くないなと思う。そういう生活もできれば人生が楽しかっただろうにとも思う。

 父も母も弱った。去年よりも衰弱している感じがしている。そういう姿を見ると、僕がもっとシッカリしていればよかったと、自分の人生を悔いる。もう少しまともな人生を送れただろうにと、自分を不甲斐なく感じてしまう。

 

 あとは山のことばかり考えている。ウチの山だ。山といっても、山だらけの中の一つで大した規模の山ではないんだけど、一応、日本の土地であり、ウチの土地だ。

 山道を整備するのが僕の目的だ。今では山に入る人がいないので、荒れ放題になっている。そこを整備するわけだ。特に、途中、水が溜まるエリアがある。そこに溝を掘って、斜面に水を流す計画を立てている。本格的な排水工事はできないし、そんなの一時しのぎにもならないかもしれないんだけど、とりあえず、やってみようと思う。

 

 僕たちはしばしばそれを「自然」と表現する。山林や河川を見て、自然を感じたりする。その「自然」とは人間による治山治水の賜物なのだ。我々が自然と呼んでいるものは、すべて、人間の手が加わっているものである。荒れ放題の土地は自然とは言わないのである。だから、僕は僕の山に手を加えていく。自然を残すとはそういうことなんだと思う。もっとも、僕の場合、そんなたいそうなものではないんだけど、本質的には同じことだと思う。手入れしていくことが「自然保護」なのである。逆に考える人もあるようだけれど、それは正しくないのだ。

 とっくに日付は変わって、土曜日になっている。さて、今日はどんな一日になることやら、これからの三日間でどんな経験をすることになるやら、楽しみでもある。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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