1月1日(日):新年を迎えて
とりあえず、謹賀新年。
昨夜はサイト作業をしていて、そのまま新年を迎えることとなった。
明け方までサイト関係のこと、並びにパソコン内の整理をしていた。それから少し寝て朝を迎えたが、昨夜行った作業で一部不手際が見つかった。今朝、新年早々、その不手際の処理を実施する。
この不手際というのも、サイトのページに「固定」と「投稿」の二種があるせいである。これは固定ページにて、これは投稿ページにて公開するという区別が僕の中である。ページを一種類だけにするか、もしくは、両者のページの区別が一目瞭然であれば具合がいいのにと思う。後者の話は、要するに、見た目では固定か投稿か見分けがつかないということである。
結局、HP関係の作業をして新年を迎えたことになるわけだ。ずっとそれをしているという感覚がある。新年らしいことは何もない。
本当を言うと、今日も高槻に行って、職場に入り、室内の整頓作業をする予定であった。サイトの不手際を修正しているうちに午後も遅くなってしまった。職場入りは中止して、家でパソコン作業をすることに決めた。
初夢となる夢は見たか。見た。と言っても断片的な記憶しかない。
何か需要な書類が何かが取られたのだ。僕はその後を追う。お互い自動車だったのではないか。盗んだ奴の車が交差点を突っ切った途端に信号が変わったのだ。要するに、敵は免れて、僕は信号に引っかかったというわけだ。信号で足止めをくってしまい、僕は相手を見失う。でも、道端に止められている車には見覚えがあった。相手はこの辺で車を乗り捨てたらしいなどと僕は思った。
そんな場面があったのを覚えている。何か大切なものが僕から失われて、それが取り戻せなくなるようだ。なんとなく、初夢としては不穏な雰囲気の夢だった。
夜はアルバイトに行く。働いてる方がましだ。少しでも体を動かし、人の役に立っておくことだ。いずれ、僕の体も動かなくなる。それもそう先のことではなさそうである。できるうちにやっておかなくては。
とにもかくにも、2023年が幕を開けた。本年が僕にとって最後の一年となるかもしれない。毎年そんな思いを抱きながら年を迎えるようになってきた。来年は僕は存在していないかもしれない。人生最後の年の気持ちで、精一杯生きていきたいと思う次第である。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)