4月14日:2月3月に観た映画(2)

4月14日(日)キネマ館~2月3月に観た映画(2)

 

 観るのはサメ系や怪獣系だけではない。真面目な映画も観る。

 今回は以下の三本立て。

『28DAYS』

『史上最小のショー』

『襲われた幌馬車』

 

 

『28DAYS』

 これはサンドラ・ブロックがアル中を演じる映画だ。映画は酒宴のシーンから、クラッシュの「Should I stay or should I go」(ステイ・オア・ゴー)をBGMに始まる。いい選曲だ。留まるべきか去るべきか、これは映画全体に通じるテーマである。

 毎晩、彼氏とともに酒に溺れ、けっこうなパリピ―生活を送るブロック。酔っぱらって小火を出したり、姉の結婚式を忘れてしまう始末。姉の結婚式でも酔っぱらって醜態を晒し、挙句の果てに自動車事故を起こしてしまう。こういう一連の映像は酒飲みには耳に痛い話である。

 こうして彼女は治療施設に送られる。そこでのグループ治療の過程が映画のほとんどを占める。不思議な施設である。割と人の出入りが自由で、アル中、ヤク中、セックス中毒など一緒くたに治療されているという所である。甘いものとタバコは許可されているそうだけど、それは依存対象としては認められていないということか。

 最初、彼女は施設に入ることも治療にも拒否的であるが、否応なくセラピーに参加し、徐々に受け入れられ、グループ内での人間関係を経験していく中で、生き方を改め、姉との関係も改善していく。こう書くといいことばかりのように見えるけど、そんなこともない。ヤクをやって命を落としてしまう同室者、皆から見送られて晴れて退所したメンバーが同じ問題を繰り返して戻ってきたり、セックス依存の治療に参加していながら陰でこっそりセックスしているメンバーなど、さらにはアル中時代の彼氏との決裂など、彼女にとって苦しい場面も経験していく。こういう経験を通して依存症を克服していくわけだ。

 治療自体は、ゲシュタルトセラピーっぽく、けっこうな直面化をさせるなと思うところもある。

 映画自体は、このメンバーが個性的な面々ばかりで面白いと感じるし、あまり暗いトーンで描かれていないのも、このメンバーたちの個性によるものだと思うが、好感が持てる感じがした。

 この映画で僕が一番好きなシーンは、かつてアル中で、今は施設で働いている男性がする壇上の演説である。この時、セックス中毒の男性が出所したらどうしたらいいかと彼に尋ねる。彼は、ここを出たら植物を買い、一年間それを枯らさずに育てたら、今度はペットを飼い、それを一年育てたら大丈夫だといった話をする。これはすごくよく分かる話だった。一つの対象を愛し、その一つの対象を大事にすることを学びなさいということなのだ。ペットにしても、愛することのできない人はやたらとたくさんの動物を飼育するのである。愛することができないから、そういう人は何十種類もの動物をペットにしたり、何十匹という猫を飼ったりしてしまうのである。愛情深いからできるのではなく、愛情を持つことができないからそうなるのである。

 

『史上最小のショー』

 売れない作家が叔父の遺産として映画館を受け取ることになった。これで裕福な生活ができるようになると思い、彼は妻を連れて、喜び勇んで現地に赴くが、それは廃館したオンボロ映画館だった。すぐ向かいには繁盛している映画館がある。かつてこの映画館がこの土地を買おうと言い出したことがあり、それを聞いた彼は、さっそくその映画館の支配人に会うも、もうその土地は要らないと断られる。なんとかしてこの土地を買わせるために、彼らはオンボロ映画館を再開する。かつての従業員三人を呼び戻し、映画を上映しはじめ、あの手この手のアイデアで観客を集めていく。こうなるとお向かいの支配人はさすがに無視することができなくなっていくのだが。

 オンボロ映画館のアル中映写技師をピーター・セラーズが演じる。若いセラーズが見事にかつコミカルに老人役をやってのけるのだから、やっぱりこの人は名優なんだなと思った。

 廃業した映画館が再建するくだりはとても面白かった。しかし、どうも僕としてはこのラストはいただけない。ハッピー・エンドなんだけど、もう少し違ったハッピーである方が良かったのにと思う。ラスト以外は面白く観ることができた。

 映画館を繁盛させるアイデアが、今でいうバーチャルなのも秀逸だ。灼熱の砂漠映画ではヒーターをガンガンかけ、さらに若くて美人の売り子に冷たいアイスクリームをそこで売り込ませるなんて、なかなかの経営である。そう、このまま映画館が繁盛して、お向かいの映画館よりも業績を上げ、彼らを廃業に追い込むほうが面白かったのにと思うのである。

 

『襲われた幌馬車』

 西部劇もいくつか観ているのだけど、あまり書くことがなかったので、今回は取り上げよう。

 リチャード・ウイドマーク主演の映画だ。

 ウイドマークは、白人と先住民の混血という設定で、お尋ね者である。追っ手たちと戦うも、保安官に捕まってしまう。連行される道中、彼らは幌馬車で旅する一団と遭遇する。一団とともに一夜を過ごすのだが、その夜、先住民族たちに襲われてしまう。ウイドマーク、男女若者4人、それに少年、生き残ったのはそれだけである。彼らは、相次ぐ困難に遭遇しながら、先住民族の土地を切り抜けていくことになる。

 先住民族、当時はインディアンと表現されていた人たちが悪役とされている点は、現代では批判されるところだ。西部劇においては、彼らは野蛮で、残酷で、白人に敵意を抱き、頭の皮を剥ぐなどと、やたらとそういったところが強調されることがあり、先住民にとってはいい迷惑だったことだろう。

 先住民の扱い方というか、取り上げ方というか、それは脇へ置いておくとしても、本作はそれなりに面白い映画であった。「ヒーロー=リーダー」の図式が生きていた時代の作品だ。ウイドマークがリーダーシップを取り、全員をリードしていくわけだ。そして、このリーダーは決して民主的ではないのだ。ある時には独裁的でもある。メンバーの意見を無視してでも、自分の考えを実行に移していく。話し合いとか協議の過程をすっ飛ばして、実行に移す。他のメンバーには分からないことでも、彼には分っていることであり、そして、彼は決して間違えることがないという存在なのだ。そういうリーダーがヒーローだった時代の映画である。

 一時代前に流行った映画という感じがしないでもないが、ストーリーは面白く、それに、若いころのリチャード・ウイドマークはカッコいい。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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