4月8日(月):終わりよければ
今週の目標の一つは動画広告にケリをつけるだった。今日、動画広告の打ち合わせをして、どうにか目途がついた感じである。ちなみに、僕の一週間とは水曜から月曜までである。だから今日が週の最終日ということになる。なんとか今週に間に合ったということである。
動画広告も悩みの種だった。普段から動画を見ないので、その広告ってのがよく分かっていないのである。それでも、一応、動画広告と呼べるものを作った。
夕方、その動画広告制作の担当者と打ち合わせをした。打ち合わせ自体はソツなく終わる。彼の言うところでは、しっかり準備されているとのことで、これだけ準備されていると製作も早いだろうとのこと。そうだったのか、他所はここまで細かく準備しないのか。もうちょい手抜きをすればよかった。
この担当の方とお会いするのは2度目だ。前回の打ち合わせの時に彼のことを書いたんだけど、彼は喜んでいたな。そういう反応をする人もあるのだなと改めて思う。
僕のサイトやブログにはいろんな人が登場している。中には不快感をお持ちになられる方もいらっしゃるかもしれない。一方で、担当の彼のように自分のことを書いてくれているのを嬉しく思う人もある。いずれにしても、登場する人たちは僕が出会った人たちである。過去のブログを読み直して、こういう人もいたなあなどと思い出す人もある。僕自身が人のことを忘れたくないので、その人からどう思われようと、出会った人のことは書いて残しておきたいと思う。
さて、担当者と打ち合わせをして、その後、いささかの雑談を。僕の悪いクセだ。せっかく来ていただいたのだから、土産話でもと思ってしまう。クライアントにもしょっちゅう土産話を持って帰ってもらう。内心では「要らんわ」と思われているかもしれないけど、ちょっとした気持ちのつもりで、いや、それはウソだな、本当は僕がお喋りなだけなのかもしれない。まあ、それで気分を害する人もあまりおられないようなので、それで良しとしている。
それで、動画広告の打ち合わせのために担当者が足を運んでくれたのに、打ち合わせは最初の方だけで、後半は彼の家族のこととか話していたりする。
子供が小さいと、母親もたいへんなんだけれど、父親もまたたいへんなんだなと改めて思う。父親は育児に直接関与しないことがけっこうあるんだけれど、間接的に育児にかかわることになるものである。その自覚のある父親とその自覚のない父親とでは、家庭の幸福度が変わってくるだろうなと僕は感じている。
ふと、先日来られたクライアントのことが頭に浮かぶ。担当である彼の話を聞きながら、別の人のことを考え始めるなんて、我ながら情けないものである。
そう、ふと、思ったのだ。子供が好きであるとか、子供が大事だという感情と、子育てに幸せを感じるという感情とは次元が違うのではないかと、そんな観念が生まれたのである。そうなのだ、子供が好きだと言われると、それじゃあ子育ても好きなんだろうなと早合点してしまっている僕がいるかもしれない。ひょっとしたらそこは別次元の話であるかもしれない。子供は好きだけど、子育ては不幸の連続だったという母親もいるかもしれないから、やはり、子供に対する感情と子育てに対する感情とは分けて考えなければならないのかもしれない。
僕が一方ではそんなことを考えているなどとは露知らず、担当者は「今日はいい話が聞けて良かった」と、土産話に満足してお帰りになられた。何となく不誠実感が僕の中に残っているのだけれど、まあ、終わりよければすべて良しとしておこうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)