<テーマ117> 怒りの処理(1)~「爆発」と「引き伸ばし」
(117―1)適切な怒りの対処と不適切な怒りの対処
怒りとか敵意、あるいは憎悪などという感情はなかなか厄介なものです。こういう感情を体験したことがないというような人はまず存在しないでしょう。でも、誰もが体験するこういう不快な感情に対して、どれだけの人がそれに適切に対処しているだろうかと私は疑問に思います。不適切な対処をされている方もきっと多くおられるでしょう。
不適切な処理というのは、怒りの場合ですと、例えば破壊的であったり、自他を傷つけるやり方であったり、周囲に迷惑や損失をもたらすようなやり方のことです。不適切な処理を頻繁にしてしまう人は、自身で「問題」を感じられていたり、あるいは周囲から「問題」のある人とみなされていたりするものです。
もっとも適切な怒りの感情の処理というのは、昇華であると私は考えております。これは怒り以外の感情でも同様です。そして、昇華以外のやり方は、一時しのぎとして通常は用いられることもあるのですが、その人の中でそのやり方が定着してしまうと苦痛を当人や周囲にもたらすものです。
一般に人が自分の怒りを取り扱うやり方には、いくつかのパターンがあると私は捉えております。その中には適切なやり方から不適切なやり方まで様々です。私は以下に「爆発」「引き伸ばし」「抑圧」「昇華」という4つのパターンについて述べるつもりでおります。
(117―2)爆発
一つ目のやり方は、怒りを感じたその瞬間に、怒りを爆発させるというものです。キレるとか八つ当たりとか、そういった行動をしてしまった覚えが誰にもあるのではないでしょうか。それは「爆発」反応と見做すことができるものです。
キレたり、八つ当たりしたり、爆発して暴れたり、ケンカしたりというのは、幼い児童には普通に観察される行動です。それは子供が自分の感情を取り扱うのが不得手だからです。子供はその段階から抜け出す必要があるのです。
大人でこういうことをしている人がいるとすれば、その人はどこか子供じみているという印象を与えるのではないでしょうか。このやり方を頻繁にしてしまうという人の場合、当人はあまり苦しまないようですが、周囲の人に与える影響はかなり大きいものです。
爆発反応は、怒りに対しての一つの対処であると私は見做していますが、この反応そのものが怒りの処理の失敗を示しているとも言えるのです。こういう反応を頻繁にしてしまう人は、それを問題視していないかもしれません。自身のこういう傾向についてカウンセリング等を受けに来られる方は、私の経験では極めて稀なことです。大抵は、こういう人の周囲の人が来られるのです。
次に、そのような事例を掲げたいと思います。
(117―3)爆発反応に悩むクライアント
あるクライアントは父親との関係が非常に悪かったのです。彼は父親が好きになれませんでした。彼の話によると、例えば家族で食事に行った場面で、注文した料理が遅いと言って、父親が急に激怒して、店員を捕まえ、怒鳴り散らしたと言うのです。その罵声は店中に響き渡って、他の客たちの注目も一気に集めてしまったようです。彼はそんな父を恥ずかしく思って生きてきたのでした。
この父親は、クライアントの言い分では、とても気分屋で、普段は穏やかなのですが、何か不快なことがあると急変して怒り散らすということです。父親は自分の思い通りにならない状況に耐えられないのでしょう。そして、一旦、怒り出すと、怒りに自分のすべてを委ねてしまうのでしょう。前後の見境もなく、これまでの生の流れもすべて中断して、怒りに自らを任せてしまう人だったのでしょう。
父親はそれでいいかもしれません。もちろん、こういうことをしてしまう人ですから、この父親も相当生きにくい人生を送ってきているのではないかとは思います。しかし、この父親が周囲の人、家族に与えた影響の方がとても大きく、家族にとっては災難のようなものだったのではないでしょうか。
このクライアントの苦悩は、父親がいつ怒り出すか分からないという環境下でビクビクしながら生きてきたということです。そして、彼にとって、父親は尊敬に値しない人間だったのです。手本となるような大人や、理想化できる対象が彼にはなかったという所に、彼の生の苦しみがあるのです。
従って、父親の激怒はその場限りで収まるのですが、その子供であるクライアントはそのために本当に得たいものが得られないまま生きて来られたわけです。
爆発は常にその場限りのもので、爆発してしまえばそれで鎮まることが多いようです。周囲のことにお構いなしに、そういうやり方をする人はところ構わずに爆発してしまうものでしょうが、周りの人にとってはたいへんな迷惑となるものであり、いささか自分勝手なやり方なのです。
(117―4)爆発反応は人を盲目にする
先ほど、幼い子供にはこういう爆発反応が普通に見られると述べました。その際に、子供が自分の感情を扱うのが不得手だからであると述べました。だから、大人でこういうやり方を頻繁にしてしまう人があるとすれば、その人は自分の感情を上手く扱えないのだと言うことも可能です。
しかしながら、感情の扱いが不得手だからという理由だけではありません。それが容易であるからその反応を繰り返してしまうという点も考慮しなければならないことです。
私は後に「引き伸ばし」や「抑圧」「昇華」といった対処について述べる予定ですが、それらは「爆発反応」よりもはるかに複雑な手続きを経なければならないのです。より複雑な過程を経験しなければならないだけに、それらは「爆発」よりも質の高い処理になるのです。
もう一つ、爆発反応がなぜ容易なのかと言いますと、それをする限り、その人は自分の怒りに目を向けなくても済むからです。従って、大人で爆発反応を頻繁にしてしまう人というのは、感情の取り扱いが不得手であるということに留まらず、自分の感情に目を向けることが困難な人でもあると私は捉えております。
もし、怒りを感じた時は常に瞬時に爆発してしまう人がいるとすれば、その人は自分の感情に盲目になっているということであり、感情に対して盲目になる生き方をしているのです。即座に発散させてしまうことによって、その人は自分の体験した怒りがどのようなもので、何に反応したものであるのか、その怒りがどこから生じているのか、あるいはなぜ即座に処理してしまわなければならないのかといった、自分を振り返る機会を逃してしまっているのです。だから、そのような人はなかなか成長していかないのです。
(117-5)引き伸ばし
怒りを体験してすぐ爆発するような子供でも、より成長すると、怒りの発散を引き伸ばすということができるようになります。これは多くの人が経験おありだと思いますが、要は、その時に怒りを感じたけれども、その時は取り敢えず抑えて、後でそれを発散するということです。その場で爆発せず、後に引きのばしたわけす。従って、怒りの感情は同じように体験しているわけですが、その発散や処理をその場でやってしまうか、後に回すかという点に違いがあるわけです。
このやり方が上述のやり方よりもなぜより成熟していると言えるのかということですが、こうやって引き伸ばす子供には、周囲の状況が見えているからです。つまり、先述のやり方をする子供よりも、より社会的な文脈で生きることができているからです。社会性がより発達しているから、今は怒りを発散することが許される状況であるかどうかを判断でき、それによってこういう引き伸ばしが可能になるのです。
社会性だけでなく、時間概念が生じているということも肝心なところです。発散は今でなくても良いということを知っているのです。後で発散すればいいということが理解できているわけです。だから、この子供はその場で爆発する子供よりも、時間性に中に生きていると言えるわけです。今発散するのも後で発散するのも同じことであることが分かっているわけであり、また、それができる時間まで待てるという点で、欲求不満耐性がより強いのです。
それと、怒りの発散を引き伸ばし、先送りするということは、そのためには自分の感情がある程度コントロールできているということが前提です。今、発散させるか、然るべき時まで待って、その時に発散させるかを、自分で決めているわけです。爆発反応をする子供よりも、この子供はより自律的に振舞っているのです。こういう自律的な振る舞いは、ある程度の躾がきちんとなされていなければ子供には身に付かないものです。
大人でもこういうことができる人ほど、その人は周囲との摩擦が避けられるものです。例えばあなたが職場で非常に腹立たしいことを体験されたとする。仕事でヘマをしたか、上司に叱責されたか、どんなことでもいいです。あなたは内心とても不愉快で、怒りに身を震わせています。でも、さすがに職場で、他の同僚や上司の見ている前で爆発するわけにはいかないので、あなたは理性を働かせて、その場は大人しく引き下がります。でも、爆発こそしないものの、あなたの心の中はとても騒がしく、落ち着かない。あなたは仕事が終わって、呑み屋に走り、そこで鬱憤を晴らすかもしれません。あなたは仕事中、非常に苦しい忍耐をされたわけですが、それでも周囲の人と問題を起こすこともなく怒りを処理されたのです。
実際、そのようなクライアントがおられました。私が「よくやった」と思ったのは、この人は密かに怒りを爆発させる場所を職場で見出したのです。彼の職場にはゴミ捨て場があって、彼が怒りを感じた時、頃合いを上手く見計らって、人知れずそのゴミ捨て場に行くのです。そして、ゴロゴロ転がっている段ボール箱などを力いっぱい潰していくのです。他の社員たちは時間に追われているのか、ゴミ捨て場にゴミを持って来ても、無造作に置いていくとこが多いようでした。怒りに駆られた彼は、それを叩き潰し、きちんと積み上げていたのでした。これは後に述べる昇華でもあるので、昇華について述べる際にもう一度取り上げることにしましょう。
(117―6)引き伸ばし戦術
これまで述べたように、怒りの発散を「引き伸ばす」ということは、その場で怒りの発散をしないということです。当人には怒りの感情が体験されています。怒りを抱えながら、その表出を先送りしようとされているわけです。そのような場面で人がすることは、何とかその怒りを鎮めようとすることです。そこで様々な戦術が用いられることになります。
イライラしている時にタバコを喫ってしまうという人も多いでしょう。私もそうです。この時のタバコは、怒りを鎮めるためにその人が必要としているツールであるわけです。この鎮静は、ほとんどの場合、発散を先送するために必要なものなのです。
怒りの感情を処理するための行為と、怒りの発散を先送りする行為との間に、明確に線引きができるとは思いませんが、しばしば、怒りの感情を処理するためにその人がしていることは、「引き伸ばし」の方に役立っているという印象を受けます。多くの嗜癖行動はそのようなものです。そういう行為が「引き伸ばし」のために役立っているとすれば、その行為は延々と繰り返されることになります。なぜなら、それらの行為は、怒りを適切に処理しているということにはならない上に、自分の怒りに関わっているわけでもないからです。ただ引き伸ばし続けているということになるからです。
その他、気を紛らわせる行為も同様です。イライラが溜まって、気分転換に旅行でもしようかと考える人がいるとします。旅行中はイライラから解放されているかもしれません。しかし、旅行から戻ってきて、普段の日常生活を再開すれば、再びその人は以前と同じイライラに悩まされることでしょう。この人は怒りを処理したのではなく、先送りし続けているようなものなのです。
従って、怒りの発散を引き伸ばすということは、個々の場面で捉えれば望ましい行動でもあるわけですが、怒りの根本的な部分には関わっていないので、その都度、それを繰り返さなければならないということになるのです。そうして先送りしてしまっている人も多いことでしょう。
もちろん、私がこのように述べているからと言って、人間は常に怒りの根本に目を向けるべきだというようなことを主張しようとしているのではありません。そのような生き方は生き辛さをも増すことでしょう。適度に引き伸ばし戦術を活用できる方がむしろ生きやすくなるわけです。
問題となるのは、その戦術が定着してしまうことなのです。一時的に怒りを抑えるために用いていた手段が、自分を維持するための装置になってしまうということです。そうなると、手段として用いてきた行動が問題と見做されてしまい、その行動によって処理されてきたものに人は気づかなくなるのです。その人は、自身の行動に問題意識を抱いているかもしれませんが、本当に取り組むべき部分には取り組めないままとなるわけです。依存症の多くはこのようなものではないでしょうか。
(117―7)本項の終わりに
怒りの対処にはいくつものやり方があるのですが、ここでは4つのパターンに限定して述べます。一つは「爆発反応」であり、もう一つは「引き伸ばし」ということであります。この後に「抑圧」と「昇華」が続くのですが、分量があまりに多くなるので、一旦、ここで項を改めることにします。
本項では最初の二つに関して私なりの見解を述べてきました。「爆発反応」も「引き伸ばし」も多くの人が経験しているものです。それ自体が問題となることはあまり多くないでしょう。ある人が一度「爆発反応」をしてしまったからと言って、その人を責めるわけにもいきませんし、誰でも一度くらいはそういう反応をしてしまったという覚えがあるものではないかと私は思います。しかしながら、「爆発反応」も「引き伸ばし」も、それが当人に定着してしまい、パーソナリティの一部のようになってしまい、それ以外の行動が採れないとなると、問題になるのです。それはその人の行動やパーソナリティが硬直して、柔軟性を欠くことを意味するからです。常に一つのやり方でどのような場面でも対処しようとすると、その人は不適応に陥らざるを得ないのです。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)