1月6日:キネマ館~『トランスポーター』他

1月6日(日):キネマ館~『トランスポーター』他

 

 昨年の12月から今年の1月にかけて観た映画の感想などを綴る。

 

『トランスポーター』

 これはテレビのBS番組で観たものだ。テレビ放映なので、日本語吹き替えであり、CMは入り、おそらくいくつかの場面はカットされているだろう。一応、最初から最後まで鑑賞したということで、ここに加えよう。

 主人公は引退した軍人で、表向きは優雅な年金暮らしをしているが、裏ではモグリの運び屋という設定。ストイックで、仕事をする上でもルールを厳格に守るというキャラクターだ。ある時、このルールを破ったばかりに、人身売買組織と戦うことになってしまう。

 こうした設定は面白いんだけど、あとはお決まりのアクションだ。僕の苦手なCG映像もある。この種のアクションものは、特に現代の映画では、結局は格闘ゲームの画面に等しいものにしか僕には映らない。取り立ててそのシーンを見ようとか、また見たいという気持ちにならないのである。

 おまけに「ご都合主義」がある。アクション映画なんかには付き物なんだけど、主人公に都合よく場面が設定されていたり、都合よくモノが用意されていたり、都合よく逃げ道が確保されていたりするわけだ。これがあんまり行き過ぎると、僕は興ざめしてしまう。

 バスの駐車場で戦う場面でも、主人公は油を流す。敵は油で滑って戦えない。主人公は自転車のペダルを、あたかも雪山でアイゼンをつけるかの如くに履いて、戦う。そんな上手くはいかんだろうと思うのだけど、それで戦うのだ。こういうのがご都合主義というものだ。主人公に都合のいい具合にモノが揃っているというわけだ。

 後半はこういうアクションシーンの連続である。そういうのが好きな人にとってはたまらない映画なんだろうと思う。適度なアクションならいいのだけれど、あまり度を超すと僕は苦手だ。よって、僕の唯我独断的映画評は2つ星だ。

 多分、世間一般的な評価よりもはるかに低いと思う。個々のキャラクターも印象に残らない感じがしている。主人公もヒロインもそうだし、悪役も然りである。どこか「ありきたり」な感じがしてしまった。

 また、主人公は最後まで運び屋として戦った方が面白かったと、僕は密かに思っている。結局、軍人として戦ったのだ。人身売買の組織に関わってしまったのだから、人身販売の運び屋に雇われて、そこで葛藤しながらも敵の計画のウラをかいて、彼らの目論見を失敗に終わらせるといった展開の方が僕は良かったと思っている。当然、アクションなんて無しだ。かつて軍人だった男が、軍人であることを止め、運び屋(これもあまり勧められた職業ではないが)として生きることを選んでいるのだから、最後まで運び屋で通してほしかった。軍人はやっぱり軍人だった、一皮むけば軍人のままだったというのでは、ドラマとして面白くないような気もしている。

 

 

『ブードゥーマン』

 1944年製作の白黒映画だ。一応、ゾンビ映画、ホラー映画に分類されるのだろうけど、内容はむしろスリラーというかサスペンスものだ。

 女性ドライバーが失踪するという事件が相次いている。単独のドライバーで、忽然と姿を消すという事件である。ひょんなことからこの事件に巻き込まれた映画脚本家のラルフが、保安官らの協力のもと、調査に乗り出す。

 映画は最初から犯人を提示している。犯人はマーロウ博士である。22年前に亡くなった妻を蘇生させようと、ブードゥーの儀式のために若い女性を誘拐してきたのだった。

 現在の映画に見慣れていると、安っぽいセットや緊迫感のないアクションなど、気に入らない部分も多々出てくるだろうと思う。現在の映画ならもっと巧みに作るだろうと思う。

 しかし、俳優陣の個性が生きている。博士を演じるのはベラ・ルゴシである。ドラキュラ俳優として有名だった人だが、いろんな悪役を演じた人である。この人の存在感がやたらと感じられる。ルゴシの一つ一つの身のこなしまで見入ってしまう。どこか人の目を引き付けるものがあるのだと思う。迫力というか、雰囲気というか、そういう現在の俳優さんには薄くなってしまった部分を、色濃く持ち合わせているように思う。

 博士の子分であるトビーをジョン・キャラダイン(キャラディンと呼ぶのが正しいそうだ)が演じている。この人も当時は悪役としてたくさんの映画に出ていたそうである。デヴィッド・キャラダインたち三兄弟は彼の息子である。

 このトビーもいいキャラである。エディプス葛藤をきちんと処理できなかったタイプである。博士(父親的)から怒鳴られるのを恐れて、女ゾンビ(女性並びに母親)にこっそり話しかける。このマザコン的で、意志薄弱的で、少々知恵の足りない部下を、ジョン・キャラダインがいい感じで演じている。本作では、この人の存在感もなかなかのものだった。

 もちろん魔術師もけっこう脳裏に焼き付く。こうした悪役陣のアクの強さに比べて、なんと正義側の影の薄いこと。ラルフや保安官なんて、本当に存在感が少ないと思えてくる。

 僕の唯我独断的映画評では、3つ星半だ。『トランスポーター』よりはるかにいい。ストーリー展開はありきたりであるが、悪役勢の存在感が秀逸だと思う。よって、ルゴシとキャラダインたちのおかげで評価が高くなった次第である。

 

 

『シャークナイト』

 人一倍怖がりのくせに、時々、ホラー系の映画に手を出してしまう。もっとも、怖くなさそうなものを選ぶのだけど。僕の場合、「サメ系」のやつは怖くないと高を括っている。本作も然りであった。ちなみに、海の場合は「サメ系」、陸地の場合は「ヘビ系」と僕は呼んでいる。

 物語は、バカンスを湖の別荘で過ごそうというリッチな大学生男女7人が、なぜか湖に生息しているサメたちに襲われ、戦うというものだ。水上保安官らがサメを放し飼いしており、この連中が悪役ということになる。

 サメはすべてCGである。こういうのは本当にゲームなんかの画面を見るのと大差がない感じがする。俳優はパントマイムのように演技をし、後からCGを合成するという撮り方をしているのだと思う。

 悪役の一人である保安官はヘヴィメタ好きで、きっと80年代のLAメタルなんかにハマったのだろう。ラットの曲が懐かしい。この悪役たちの動機は人がサメに襲われる映像をネット上で公開するというもので、要するにこの連中はユーチューバーの同類ということか。僕はこういう動機はまったく理解できない。

 登場人物たちは、どこか紋切り型というか、型にはまったようなキャラで、どうも感情移入できない。恋人を失った男性が悲嘆にくれても、なんら感情に訴えてくるものがなく、淡々とした気持ちで鑑賞していううちに、映画が終わってしまった。そういう体験だった。

 映画は1970年代までと信じている僕にとっては、本作はとても新しい。新しすぎてついていけないところが多々ある。共感できるような登場人物はなく、ゲーム画面を見ているような感覚しか生じなかった。

 きっと、どの「サメ系」作品も同じようなものだろう。一つ、救いとなるのは、こういう「サメ系」は決まって水着ギャルが登場する。多少のお色気が救いだが、こういうギャルも呆気なくサメに襲われてしまう。サメなんか出て来なくてもいいのに、サメが出てきて、水着美女(かどうかは好み次第だけど)に襲い掛かる。こういうシーンに興奮するという人がいるとすれば、あまり男性要素を発達させていない人かもしれない。

 まあ、それはさておき、本作の唯我独断的映画評は2つ星だ。すべてが紋切り方という感じがしてならなかった。大学のキャンパスから湖の別荘へのドライブも、ドライブレコーダーの映像を早回しで見るだけ。その間、登場人物たちの会話もなければ、伏線が張られる点もない。けっこうザツな処理をされているように感じた。いまどきの人たちはこういうのを面白いを感じるのかもしれないけど、僕はムリだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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