12月28日(月):「メンタルが弱い」というクズ理屈
ああ、いやだいやだ、昨日、このブログで書いた彼と会ってしまった。まあ、会うのはいいし、一緒に酒を飲むのもイヤではない。なんとなく気まずい。
彼の話を聞くと、やっぱりかという感じがする。
同棲していた彼女は実家に帰っているという。彼はお金の問題だと信じている。彼女は将来子供も産んでということを考えているそうだ。それが彼の今の給料では叶いそうにないと見込んだのだろう。彼は自分の給料の低さが原因だと思っているようだ。
しかし、それは違うのだ。彼がなんらの将来を示せないのが問題なのだ。今はこれだけの給料だけれど、来年には正社員になって(彼は正社員ではない)、これだけの給料を得るようになる、三年後にはそれなりの地位に上がってみせる、そういうことを言えないのだ。彼女からすればこの生活がいつまでも続くように思えたかもしれない。将来を見えなくさせているのが彼女にとって苦しかったのだと僕は思っている。
僕は彼に正社員になればどうかと勧める。今の仕事でも試験みたいなのに通れば正社員への雇用が実現できるそうだ。チャレンジしてみたらどうかと僕は勧める。
それに対して、彼は答える。「メンタルが弱いから」と。はっ、お決まりの文句だ。彼のような人が決まって言うセリフだ。メンタルが弱いとは一体何のことだね。
この強いとか弱いといった言葉が曲者だ。スポーツ競技であるとか、あるいは測定できる体力とかであれば強いとか弱いといった表現も可能であるかもしれない。測定できないもの、ルールのないもの、そういう領域の事柄に関する強さとか弱さとかいったものは何で決まるのか。
簡潔に言うと、強い弱いという観念はその人の心的投影なのだ。彼にとって辛い場面、耐えがたい経験に対して、一つの納得のいく説明を自らに与えていることになるわけであるが、ハッキリ言えば、自己欺瞞である。「メンタルが弱い」ということで処理できれば、自分はもう何もしなくてもいいのだ。
確かに彼女の方にも問題があることは認めよう。彼女が彼に満足できないだろうというのは、彼の人格によるものだけでなく、彼女の問題とも関係しているのだ。でも、彼女のことは脇へ置いておこう。
結婚(までは至らなかったけど)するということは、自分の人生を相手に賭けることである。これは男性も女性も同じであると僕は考えている。女性が男性を選ぶ時、彼女は彼に賭けているのだ。その逆もまた同じように賭けがなされているのだ。お互いに、自分の人生とパートナーの人生を背負っていくことになる。恋愛ごっこのような感覚で結婚とか同棲とかしてはいけないのである。
相当の重圧である。結婚するということは。それに耐えられないと思うのなら僕のように一生独身を決め込めばいい。僕は敗北宣言をしている。結婚は僕には無理だと。耐えられないと。その代わり、僕と一緒になって不幸になる女性が現れなくて済んでいる。
彼は、僕の考えでは、メンタルが弱いのではなく、考えが甘いのだ。自分自身に対しても、彼女に対しても、真剣さが足りないのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)