12月21日(月):唯我独断的読書評~『世界文学三十六講』
今年もあと十日ほど。文学の勉強をして年を越そうかなどと考えている。文学ももっと勉強してみたいと思っていながら、いつも後回しにしてしまう。何でも先送りにしてしまうのは僕の悪いクセだ。その反省も踏まえて年内は文学に取り組んでみよう。文学作品そのものではなくて、文学そのものに取り組んでみたいと考えている。
そういうわけで最初に選んだのがクラブントの『世界文学三十六講』だ。
最初に文学の誕生を、それこそ言葉の誕生から説き起こす。その目的についても著者の見解が言及されている(第一講)。
続いて各国で生まれた文学を概観する。それはエジプト、ユダヤ、インド、中国、日本、古代ギリシャ、ローマと続く(第2講~第8講)。基本的にはギリシャとローマの系譜が後に綴られていくことになる。日本や中国、その他の国は後では登場しない。
続いて、中世の文学が綴られ(第9講~第14講辺り)、ルネサンス期の文学が取り上げられる(第15講~第17講辺り)。以後、バロック期からロマン期の文学的歴史が説かれる(第18講~第27講辺り)。
以後、19世紀の各国の文学、20世紀の各国の文学、現代のドイツ文学(著者はドイツ人であるため)と続いて36の講義を終える。
個人的には中世からルネッサンス期の箇所が一番面白く、勉強になった。あまり馴染みのない時代であるだけに、新たな興味が掻き立てられる。時代が大きく動く時代に文学も大きな動きを見せ、大きく発展することが窺われる。主張や表現の欲求が高まるからだろうか。
19世紀以降の章はほとんど作家の紹介のような体裁を持っている。人口に膾炙する作家名が幾人も登場する(同じくらい知らない作家たちの名前も登場するけれど)のでもっと興味が湧いてもよさそうな気もするが、簡潔な紹介程度の文章が連なっている部分が多い。その合間に文学的な見解並びに著者の見解などが綴られてはいるものの、読むには退屈する個所だった。
また、著者が詩人であるだけに、詩歌に偏重しているきらいがある。詩歌に関する記述はとても優れているけれど、小説などに関する記述は極めて簡素である。戯曲はその中間に位置する。僕は詩歌はほとんど読まないので、ある部分では勉強になったけれど、その他の部分では僕の興味から外れている分、興味が薄くなってしまった。
また、時代によって記述に差異があるように感じられた。前述のように中世やルネサンスの時代の描写は念が入っているのに、19世紀以降はあまりにも簡素すぎる。本書はもともとは二冊の小冊子を一冊に編纂したものであるらしいので、そのことが影響しているのだろう。全体としてはバランスの悪さを感じてしまった。
著者の意図するところでは、文学史に割く時間はわずかでよく、あとは実際の作品に触れてほしいということであるようだ。その願いがあるので、あまり細部に立ち入らないで、全体を概観する程度の内容になっているのかもしれない。文学史を学ぶ一つの礎石として本書はいいのではないかと思う。さらに詳しく文学史を研究したい人はさらに専門的な書物に取り組むこともできるだろう。また、実際の文学作品(本書に取り上げられている作品)に取り組む際にも、本書を紐解けば、その作品の文学的位置づけ、歴史的位置づけが理解されそうなものなので、作品の理解をも助けるだろうと思う。
また、本書を読むことで、読んでみたい作品や新たに興味を覚える作家も増える。初めて耳にする作家であれ、名前だけ知っていて実際の作品に触れたことのない作家であれ、興味を新たに掻き立てられる作家ないしは作品が必ず見つかるのではないかと思う。そういう意味でも読書世界が広がる一冊だ。
それにしても、著者の膨大な読書量には頭が下がる。自分がいかにわずかしか本を読んでいないかということを痛感させられる。そういう意味でも刺激になる作品だ。
さて、本作品の唯我独断的読書評価だけれど、僕は4つ星半をつける。たいへんな労作であることは間違いないし、いろんな意味で僕には有益であった。
<テキスト>
『世界文学三十六講』(クラブント著) 秋山英夫 訳(『世界教養全集13巻』(平凡社)所収)
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)