12月16日:子供が病んでいる

12月16日(水):子供が病んでいる

 

 昨日から今日にかけて身辺整理をやっている。今朝も若干家のことをやってから出勤する。

 職場に到着。留守電が入っている。昨日、電話をくれたのだけれど、火曜日が定休日であることがほとんど知られていないのには困ったことである。

 その方の用件は子供が病んでいるようで悩んでいるということだ。その子供がいくつくらいの子供なのかは留守電からは判断できないけれど、よくある話である。

 それでその方に電話をしてみたのだけれど、もう解決したので結構ですとのこと。さようですか。それはなによりであります。当面はそれで上手くいくのであれば、何もほじくり返す必要もない。

 しかし、いずれ問題は再燃するだろうと僕は思っている。それはこの母親の子供を見る見方に僕は一抹の不安を覚えているからである。

 

 母と子以外の家族成員でもいいのだけれど、昨日の留守電に倣って母と子にしよう。母親は子供が問題を抱えているようであるとか、病んでいるようであるとかというふうに見えている。

 この時、母親は子に対して何をしていることになるだろうか。これが第一に考えなければならないことである。母親は子供を心配しているのか、子供のことで不安になっているのか。その場合、子供以外の不安要因がどれくらい母親のなかで作用しているだろうか。

 母親は子供を評価しているのだろうか。そうであるなら、なぜ母親はこの時期になって子供をそのように評価しなければならなくなっているのだろうか。この評価は母親にどのような作用を及ぼしているのだろうか。

 以上の問いは、母親の問題乃至は感情と子供の問題乃至は感情とを区別するものである。

 次に、母親のその見方は子供にどう影響しているかを考慮しなければならない。この影響は、単純に考えて次の三領域に渡る。

 まず、子供に直接影響しているところのものがあるだろう。次に、母親と子供との間の関係に影響しているところのものがあるだろう。最後に、母親の子供への態度にどのように影響しているかを考えることができるだろう。加えて、最初のものと重複するのだけれど、子供の母親への態度にどのような影響を及ぼしているかを考えることができる。

 子供が何か問題を抱えているようだ、と母親は解釈する。その子供の様子は母親にある種の反応を引き出しているわけである。その母親の反応が今度は子供のどんな反応を引き出しているかということが問われることになるわけだ。さらに、子供の反応は母親からどんな新たな反応を引き出したかも問題になるわけだ。上手く行かない関係では上記のプロセスのどこかに間違いがあるものだ。時には最初が間違っていることさえある。子供が何か問題を抱えているという評価そのものが正しくないことだってあるわけだ。

 あまり個人的な事柄には触れないようにして、この母親の訴えを取り上げよう。母親は子供が病んでいるようだと言う。様子がおかしいとか、変なことを言うようになったとか、そういう言い方をしていないことに注目である。

 端的な表現をするけれど、もし、母親が子供を「病気」とみなしているとすれば、この母親の見解は子供に作用し、子供との関係にも作用し、母親の態度なども変えることだろう、ということである。そのような変化はさらに次の作用を生み出すだろうということである。

 これも端的かつ簡潔な表現をするのだけれど、親が子供を「病気」と見なくなるだけで、関係はかなり改善するのである。病気があるとか、問題があるとか、子供をそういう人間と見なくなるだけでかなり改善するのである。

 ただ、見方を変えたらいいということではない。そんな簡単な話でもないのだ。子どもを見る目が変わるということは、母親の心が変わることによって達成されるものなのだ。他の人間関係でも同様である。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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