9月29日(火):予定通りに終わらずに
今日は定休日だけれど、高槻に来て作業をする。ついでにブログも書いておこうと思う。最近、ブログの方は疎かになっているな。
以前使用していたパソコンがある。この旧パソコンに保存されているデータを取り出す作業に追われている。旧パソコンは、もうインターネットにも接続できないし、文書を書いたりすることもない。音声データのフォルダーとして使用していた。
この旧パソコンはバッテリーがもう厳しい状態になっている。メーカーにはもう無いとのこと。それなら中古パソコン店をまわってパーツ替えしたらいいかと思っていたんだけれど、どうも望みが薄そうな感じになってきた。そして、早めにデータを取り出した方がいいよと勧告されている。僕はその勧告に従っているわけだ。
大体30分くらいでバッテリーが悲鳴を上げる。そうすると少しパソコンを休ませてやらないといけない。30分ずつ作業をする。面接の音声データをディスクにうつすのに、1枚につき10分程度かかる。だから3枚ずつしかできないわけだ。
思ったよりも時間のかかる作業だった。加えて、思っていた以上にデータが入っていた。当初の予定では一週間くらいで終わらせられるだろうと見込んでいたんだけれど、なんのなんの、一週間かけて3分の1程度のことしか終わらせられていない。
仕事や予定の合間を縫っての作業となるし、この一週間にちょっとしたアクシデントもあった。その他、約束事なんかもあった。また、音声データは決して持ち帰らないという僕のルールがあるので、持って帰ってやるというわけにもいかない。この職場からの持ち出しは禁止しているので、それは守ろうと思っている。
その約束事の一つが昨夜あった。友達と会う約束をしていたのだ。なかなか楽しい時間を過ごさせてもらった。
特に人気があるわけでもないし、特別愛されるわけでもないけれど、親しくしてくれる人はたくさんいる。仲良くしてくれる人もある。僕がどんな人間であろうと関係なしに彼らは僕に良くしてくれる。ありがたいことである。自分は幸せ者だと思う。
いわゆる「心の病」が「治る」とは、それが分かることだと僕は思っている。自分が、本当はいかに恵まれており、幸せであったかを知ることなのだ。「知る」という言葉は適切ではないかもしれない。むしろ「発見する」と言った方がいいかもしれない。そして、「発見」されたものは体験されていなければならない。さらに加えて、体験されたそれはそのままの体験として残していかなければならない。
多分、上記の言葉を読んで「そんなの当たり前だ」と思った人もあるかもしれない。ところがそうではないんだな。これはそんなに「当たり前」のことではないし、簡単にできることではないんだな。人によってはかなり難しいことでもあるんだな。しかし、まあ、その辺の話は止しておこう。
旧パソコンのデータ取り出し作業、もうあと2週間くらいかかってもいいや。一週間で終わらせて次のことに移りたかったんだけれど、僕の予定の方をずらそう。急いでやっても疲れるだけだ。それに次にやる予定の作業と並行しても構わないんだ。気持ちとしては一つ終わらせてから次のことに着手したいんだけれど、現実はなかなか自分の思うようにはいかないものだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)