9月9日(水):対人間の最適距離
人にはそれぞれ他者との間に持つ距離に違いがあったりする。その人が相手と心地よくいられる距離感を「最適距離」と呼んでおこう。この最適距離が近い人もあれば遠い人もあるというわけだ。
この最適距離が近い二人はお互いにこの関係をあまり苦にすることが少ないだろうと思う。自分にとってちょうどいい距離感は、相手にとってもちょうどいい距離感ということになるのだから。
しかしながら、これが大きく隔たっている二人は何かと関係で衝突することも増えてしまう。上手く行かない夫婦の中にはそういう人たちもある。
もちろん、両極端であることはその人自身の問題と関係があるのだけれど、ここではそれに触れないでおこう。相手とあまりに至近距離を取りたがるとか、相手とあまりに距離を開けたがるということは、つまり相手とべったりになりたがるとか孤立したがるとかいったことは、それ自体ある種の問題を含んでいるのだけれど、そこは置いておこう。
今、仮に相手と距離を置きたがる夫と、相手と距離を縮めたがる妻とがいるとしよう。もちろん逆の場合もある。夫は一人になりたいのに、妻はそんな夫をつかまえて離さないといったことも起きる。夫はどうして妻がそんなにベッタリしてくるのか理解できないし、妻はどうして夫が離れたがるのかも理解できない。そうこうするうちにお互いの関係がギクシャクしてくる。それで困ったことになったりするわけだ。
細かい話はしないでおこう。際限がなくなるからだ。重要だと思うことだけ書いて残しておこう。
例えば最適距離が近い妻とその距離が長い夫がいるとしよう。一緒にいたがる妻と一人になりたがる夫のような夫婦だ。この時、距離の遠い人に合わせてあげる方が上手くいくと僕は感じている。従って、妻は夫の距離感で夫と付き合うということである。
それでは妻が不服ではないかという反論も出るだろう。もちろんそれで終わりではない。夫にとって、妻がそれほど侵入的ではないと見えるようになると、夫の距離感が少し短くなる。もう少し妻が接近しても大丈夫なようになる。これを繰り返していくことである。
また、夫にとって、どういうことで距離を置きたいと思うのか、どういう時に一人になりたいと思うのか、またどんなサインを出しているのかが見えてくると、妻はやりやすくなる。夫と密になりたい妻の要求も、結婚しても一人になりたいという夫の要求も、どちらも満たす必要はなく、お互いに最適な距離感で付き合っていくことを目指す方が得策であると僕は考えている。もう少し言えば、妻の要求も夫の要求も、適度に満たされるあるいは部分的に満たされるとそれで十分と捉えたほうが良さそうに思う。
今述べたことは、その他の人間関係でも同様である。人と距離を縮めたがる人もあれば、人と距離を置きたがる人もある。相手が距離を取りたがる人だったら、一旦、相手の距離感に合わせてあげる方がいいわけだ。これが逆だとちょっとしんどい。距離を取りたがる人が距離を縮めたがる人に合わせるというのは負担が大きい。
いずれにしても、僕としては彼らの関係が良くなることを目指したい。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)