8月7日(金):意味不明の営業
膝の痛み。毎日このことから一日が始まるのだけれど、今日は比較的良い方だ。昨夜もけっこうラクになりつつあることが感じられていた。多少の痛みは伴うけれど、腫れが引いてきたので、ある程度までは苦も無く曲げることができる。今日は杖無しでやってみようと思う。
朝、少し家のことをする。それから外出して、散髪に行く。本当はもっと早く行くはずであった。膝のことがあるので延期してきたのだ。散髪屋の椅子に座れるかどうか不安だった。ここまで回復すればもうその不安もない。
散髪屋はけっこう混んでいた。マジか、と思った。でも、ここまで来たんだから散髪やってしまおうと思い、順番を待つ。
散髪屋を後にして、駅に向かう。そのまま電車に乗り、高槻へ。杖を持っていないと席を譲ってくれる人がいない。それでいいのだ。親切にも席を譲ってくれる人がおられる。杖を突いていると目立つのだろう。ありがたいとは思うけれど、僕は辞退する。立っている方がラクであるからだ。
高槻に着く。予定では12時頃に着くはずだった。13時前に入室。留守電のランプが点滅している。取り敢えず内容を聞く。以前来られていたクライアントさんからだ。後で返事することにして、とにかくトイレだ。ずっと我慢しておったのだ。
トイレの後、ありがたいことに相手の方から電話をくれた。予約を取る。それから昼食だ。大した活動もしていないはずなのに腹が減る。
昼休憩を取る。午後からの予定に備えて活動再開といこうとすると、電話が。この電話が訳わからなかった。
僕が取ると、相手はいきなり用件を言い出す。面接を受ける人ではないようだ。僕の方からどちらさんですかと尋ねる。IT系の業者のようだ。
彼の話がまるで要領を得ない。何のことやらサッパリだ。僕が理解し得た範囲で言うと内容は以下のものだ。
高槻でも悩みを抱えている人が多い(ホンマか)。そういう人たちの検索に応じるような提案をする。今日、高槻を回るので資料をお渡ししたい。
それだけしか理解できなかった。面倒なので僕は断った。
こういうのが一番嫌いだ。高槻を営業で回るからお伺いしたいと彼らは言うのだけれど、そもそも、そんなのそっちの都合ではないか。なんで僕が彼らの都合に合わせなければならないのだ。
それに、今日この辺りを営業で回る、今日アポを取りつけ、今日訪問するっていう、このスピード感だ。要するに、彼らの提案することはことごとく断られてきたのではないだろうか。訪問先があまりにも少ないということではないのだろうか。そうであるとすれば、それは何ら魅力のない提案なのだ。
そりゃそうだろう。結局、彼らがどんな仕事をするのかこっちは不明なのだ。資料をお届けしますっていうだけなら郵送でもすればいいじゃないか。僕の常識では、先に先方さんに資料郵送の許可を得て、資料を送付し、資料に目を通していただいて、それで興味を持ってくれたら会って説明しましょうっていう流れになると思う。僕から見ると、今日のその人はあまりにも手順を省きすぎている。
他所さんのことを言うのは控えないといけないのだけれど、そういう手順を省くということは、その会社はかなり危ないと僕は考えている。危機感があるので焦るのだと僕はそう解釈している。
いずれにしても、「今日高槻を営業で回るから」という、その「ついでに」感が癪に障る。この辺りを回るからついでに寄らせていただきますっていう感じがつきまとって仕方がないのだ。実に不愉快である。
最後に余談を。今日の営業の彼は高槻でも「悩んでいる」人が多いなどと、きちんと統計を取って言っているのかと突っ込みたくなるようなことを言った。もちろん、彼らは統計なんて取らない。ただ、検索キーワードから類推しているに過ぎない。
僕は思う、全国含めても悩んでいる人なんてごくわずかだ。それを多いと言う人は、「悩む」ということがどういうことであるかを知らない人である。確かに、「困っている」とか「苦しんでいる」とかいう人は多いだろう。でも、それは「悩んでいる」とは違うのである。「悩む」とはもっと主体的な心的行為なのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)