6月11日:幼児期に着目しないこと

6月11日(木):幼児期に着目しないこと

 

 最近、あまりブログを書いていないので、少し書いて残しておこう。

 今日は比較的時間に余裕がある。あれこれとやらなければならないことも抱えているが、ブログのために少々の時間を割いても問題はないだろう。

 今、これを午前中に書いている。午後から少し外出する用事がある。

 今日は雨だ。梅雨入りしたとのことだ。外出するのも億劫な気持ちになる。

 先週は忙しい週だった。その分、今週は少しヒマがある。遅れている作業をやっていこうと決めている。

 ブログやサイト関係のことは何もしなかったというわけではない。浮気に関するページを作成している。そのための原稿を書いている。内容もまとまらないまま十数項も書いている。これを校正して、推敲して、アップするのだけれど、公開はいつのことになるやらである。

 体調は良かったり悪かったりで変動が激しい。今日は、雨の影響もあるんだろうけれど、膝の調子があまりよろしくない。痛みはないが、違和感があり、膨張感もあり、なんとなく動かしにくい。その他は、快調とまでは言えなくても、悪くもない。若干、睡魔に襲われること多く、いささか疲労感もある。

 先週は酒とタバコの量が増えた。よろしくないことである。最初は緊急宣言解除後もあって、みんなが元気だったかを見たかった。親しい人たちとも概ね再会できたので、飲みに行くのももういいだろうという気になってはいた。でも、ダメなもので、一度飲み歩くと、また行きたくなってしまう。そうしてズルズルと飲んでしまう。

 

 さて、多少は仕事の話もしよう。

 昨日のクライアントが言っていたな。カウンセリングを受けて悪くなる人もあると。ハズレなカウンセラーでは受けたくないと。僕は当たりだったようだ。本当はカウンセラーにそんな違いはないんだけれどね。

 クライアントが悪くなるという場合、その「悪く」というのはそのクライアントの主観であって、臨床的に正しいとは限らない。まず、他のどんな傷病でも同じなんだけれど、治癒の前に悪化を経験するものである。これは悪化とは言えないものである。病者からすれば悪化に感じられるのであるが、臨床的には悪化とはみなされない。

 風邪をひく、回復前に熱が上がる。熱が上がると病者はしんどいのであるが、この発熱の上昇を悪化とは言えないのと同じである。治る前に痛みを経験することはよくあることである。

 学習なんかでもそうだ。技能であれ知識であれ、身につく前にスランプ状態に陥ることも珍しくない。一段上がる前に停滞期を迎えることもよくあることである。

 しかし、本当にクライアントが悪化する場合、僕は次のことが行われているように思う。それはクライアントの幼児期への着目である。クライアントの幼児期に着目し始めるとカウンセリングは不成功に終わると僕は信じている。

 幼児期の経験とは、どの人にとっても、自分の力の及ばなかった経験を多く含むものである。なぜなら幼児にはそれだけの力がないからである。自分が何かするためにも親とか保護者の力添えがないとできない。加えて、幼児は交渉する手段も持たない。そのため、すべては親とか保護者役の人にかかっているのである。その時期の自分を振り返ることは、無力な自分を再体験することになる。

 さらに、無力であった幼児期の経験は何を残すかであるが、それは憎悪である。健常な人はそういう憎悪に蓋を閉めているのである。きっちり蓋のできる人が健康なのだ。臨床家は、クライアントの乳幼児期に焦点を当てることで、ウッカリその蓋を開けちまうんだと僕は思う。

 僕は一言で憎悪と言ったけれど、この憎悪は想像以上に激しいものである。そこの蓋を開けてしまうと、憎悪は無尽蔵に湧き出してくる。愚かなカウンセラーはこの憎悪を語りつくさせればいいと考えるが、それは不可能である。これは尽きることがないのである。

 では、憎悪の蓋を開けてしまうことでクライアントはどうなるのか。憎悪感情で満たされるのである。その人は憎悪の塊と化した自分を経験してしまうのである。悪い感情に支配された悪い人間になってしまうのだ。カウンセラーがその悪感情に共感するために、クライアントはその悪感情に容易に同一視してしまうのだ。

 そう、人の幼児期なんかには触れてはいけないのだ。そんなもの必要以上に触れない方がいいのだ。幼児期を取り上げることはまずもって無意味なのである。

 常に、問題発生、発病状況は「いま」なのである。「いま」だけを取り扱う限り、クライアントが悪化することはないと僕は考えている。

 そして、「いま」のことは、解釈に対してクライアントも反応できるのである。乳幼児期に関するカウンセラーの解釈は、クライアントには絶対的なものとして映る可能性がある。というのは、乳幼児期がどうしても個人の意志が及ばない時期に当たるからである。

 長々と綴ったけれど、クライアントの「悪化」の一要因として、カウンセラーがクライアントの乳幼児期に焦点を当ててしまうことにあると僕は考えているわけだ。「悪化」の要因は他にもあることは強調しておこう。

 それに、「悪化」はむしろクライアント側の何かのためであることもけっこう見られるものだ。まあ、この話はこれくらいにしておこう。僕もこういう話を始めると尽きることなく話してしまいそうだ。

 

 さて、そろそろお昼である。今日与えられた一日の、その残された半日を有意義なものにすることだけを僕は考えよう。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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