6月14日(日):そんな奴、知らねえよ
「渡部のことどう思います?」
何人かのクライアントからそういうことを訊かれた。お笑いコンビのアンジャッシュの渡部さんのことだ。最近、何かと話題になっていることは知っていた。
僕の答えはこうだ。
「渡部? そんな奴、知らねえよ」
昨夜、たまたまテレビのニュース番組で渡部のことを知った。なるほど、そういう事件だったのか。
マスコミの報道だけであれこれ言うのは危険である。僕は渡部という人のことを知らないし、彼についてどう考えていいかも分からない。しかし、僕の中ではどうも腑に落ちないものがあった。
それは不倫ということだ。あの問題は不倫問題として報道されているのだが、僕にはどうもそこが解せなかったのだ。あれって不倫になるのか?
それでも、まあ、世間がそれを不倫というのなら不倫としておこう。僕にはレイプにしか見えていないのだけれど、僕の考えもわずかな情報にしか基づいていないので確かとも言えない。
女性がレイプされる。それがレイプであるためには少なくとも次の二つの条件が揃っていなければならない。その行為に関して、①女性の同意が欠如していること、②男性が力を行使していること、この二点が揃っていることが前提であると僕は考えている。そのうち、①はどちらかと言えば副次的であり、②がより重要性があるとみなしている。その他、その行為をする場所であるとか、金銭を払ったとかいったことは問題外である。
①は微妙な問題を含んでいる。女性はデートには合意したけれど、セックスには合意していないということもあり得る。どこまでを合意したか、どこから合意していないかの線引きが曖昧なケースもあると僕は思う。
何よりも②の存在である。普通、レイプという場合、この「力」とは、いわば「腕力」である。力づくで女性を押さえこんで犯したということである。
しかし、この「力」は、何も腕力だけとは限らない。他の種類の力によるものも考えられる。「権力」のようなものもまた「力」なのだ。
僕は、あの渡部って人が何らかの「力」をその行為のために行使したように感じられているので、あれはレイプ事件のようにしか見えないわけである。
ところで、世間の人からすると、あれは「不倫」問題となっているようだ。それはなぜか。僕の思うに、マスコミがそれを「不倫」問題として報道するからである。それがどういう種類の問題であるかはマスコミが決定していることになり、報道を受ける側はそれを従順に受け取っているということになる。我々のこの態度もまた問題になるんだけれど、そこに話を広げないようにしよう。
それともう一つ、昨夜のニュース番組では種々の専門家の先生たちがコメントしていたんだけれど、誰一人としてまともなことを言っているようには聞こえなかった。彼がセックス依存症であるとか、征服欲を満たしているとか、専門家が言うのはそんなことばかりだ。どうして愛情に障害があることを指摘しないのだろうか。愛情恐怖症がその根底にあることに誰も思い至らないのだろうか。
ああ、くだらない。実にくだらない。この事件も、マスコミも、専門家も。ニュース番組を観た自分までつくづくイヤになる。気分を晴らそうとこうして書いているけれど、書けば書くほど自分が惨めになる。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)