4月6日:コロナ・ジェノサイド~一番怯えているのは誰か

4月6日(月):コロナ・ジェノサイド(17)~一番怯えているのは誰か

 

 政府は緊急非常事態宣言を出すかもしれない。いや、まず出すだろう。しかし、その宣言は諸外国のものより幾分緩いものである。一応、仕事は可となっているようだ。流通も滞りなく行うようであり、買い物もできるとのことであるらしい。

 しかし、呑み屋とか飲食店、その他、人の集まる場所に対しては厳しい処置が取られるかもしれない。それも仕方がないことだ。今のところ3週間の期間が設定されているようなので、とりあえず、その期間はそれを守ってみるのも必要だろう。

 

 外出の自粛ということなんだけれど、それを守る人は守っている。僕も外出はするけれど、自宅と職場の範囲からは出ないようにしている。それ以上の距離の移動はしていない。沖縄の石垣島に行こうなんて気持ちは起こさない。

 高槻も夜は寂しい限りである。20時ころに周辺を歩いてみると、深夜の感覚に襲われるほどだ。

 それでも、あまりよろしくないことではあるが、僕は呑み屋に顔を出す。その代わり、お世話になった店、僕に良くしてくれた3軒だけに絞っている。その他のお店にはまったく顔を出さない。

 良くしてくれた店に顔を出す。お互いの安否確認も兼ねている。そして、この店に来るのは今日で最後になるかもしれないという思いを抱えて店を後にする。つながりだけは途絶えさせたくないとも思っている。

 しかし、どのお店もガラガラである。他のお客さんとの距離もあるし、場合によっては客が僕一人という状態のことも多い。下手に人の多い電車に乗るよりかは、ここで時間を潰してから空いた電車に乗る方が安全かもしれない、そのようにも思えてくるほどだ。

 

 さて、この土日も外出自粛要請が出されていた。それでも若い人たちは、いわゆる、街コンなるものに参加したりする。今朝のワイドショーで観た。

 この街コンなるものが僕には分からない。一応、出会いを求める人たちが参加するものであるらしい。しかし、お見合いパーティーのような結婚相手を求めて参加するようなものではないらしい。

 要するに、長い付き合いをする相手を求めているのではなく、その場限りの相手を求めて行われるものであるようだ。

 一部の識者はこういう若者は危機感が足りないと評価するようだ。僕はそうは思わない。もしかすれば、彼らが一番危機感を覚えているのかもしれない。いや、少しだけ訂正しよう。彼らの全部が全部そうだとは言えないけれど、一部の人においてはそういうことが起きているかもしれないと僕は思う。外出を控えている人以上に怯えている人たちがいると僕は思っている。

 その理由は簡単だ。不安に襲われれば襲われるほど、人は独りでいることが耐えられなくなるからである。このことを証明する心理学実験もある。

 被験者を二つのグループに分ける。それぞれ待合室に集める。一方のグループではこの後とても怖い実験をするなどと伝える。もう一つのグループではこの後簡単な実験をすると伝える。実験開始までの待ち時間の被験者の行動が観察される。そうすると不安を煽られたグループの方が、そうでないもう一方のグループよりも、親密を求める行動が多く見られたということである。

 一番怯えているのが彼らかもしれないのだ。彼らというのは、外出自粛を守ることのできない人たちのことである。家に独りで過ごすことに耐えられないのかもしれない。平常時であればできることであっても、不安に襲われている状態では難しいかもしれない。

 実は、僕はそう考えているのだ。若い人たちに対する批判と受け取られそうなんだけれど、今の若い人たちは危機や不安に耐える力が弱いと僕は思っていて、だから、外出自粛に耐えられないのだと考えている。不安に襲われて、すぐに居ても立ってもいられなくなり、人を求めてしまうのだと思う。

 従って、彼らに対して危機意識が低いなどと評価することは正しくないかもしれないのだ。むしろ、彼らが安心できるようなことが言えないというのが問題なのである。怖くて、不安で、心細くて、それで誰かと一緒にいたいという気持ちが若い人の中にはあるかもしれなくて、年長者や立場的に上にある人たちはその心理を見逃してはいけないとも僕は思うのだ。

 大切なことは、外出自粛が孤立を連想させてしまってはいけないのである。外出自粛が人の絆を強めることにつながっていく方がいいと僕は思っている。

 

 イギリスのジョンソン首相だったかな、国民にシンプルに命令したのだ。家を出るな、友達とも会うな、仕事は家でしろと。そして、自分もそうするということを言ったように僕は記憶している。みんなで同じことをしようというメッセージが僕には感じられて、それだと外出禁止であっても、みんな同じだと思えることで連帯感が維持されるだろうと僕は思う。

 ところが日本の政治家はどうだね。国民には在宅勤務を勧めておいて、自分たちは相変わらず会議の場に出席して、今までと勤務形態を変えようともしない。人の集まる場、三密の場に行くことを国民に控えるように求めておいて、自分たちはそういう場を作り、そういう場にいるではないか。会議の場面がテレビで報道されるのを見ると、それだけの数の議員たちが一堂に会する必要があるのかと思えてくる。

 この解離、官と民の間の解離が民を不安にさせることはないだろうか。この不安が反感を強めることにつながらないだろうか。外出自粛要請を守らない若者は、一面においては(という条件を付けるけれど)、正常な行動をしているのかもしれないのである。

 一番怯えているかもしれない人たちに政府はアピールできていないのである。そして、一番恐れている人たちほど、今回のコロナ経験がトラウマとして残るかもしれないのである。コロナがトラウマになるのではなく、不安を放置されること、不安対処が禁じられることがトラウマにつながるものであると僕は考えている。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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