2月26日(水):無意味な仕事
今日、新規のクライアントと面接した。年配の婦人である。僕はその人の面接を終えてからというもの、ずっと胸がムカムカしている。あまりクライアントのことを書くわけにもいかないんだけれど、少しだけ言葉にしないとどうもムカムカが治まりそうにない。それでこれを書こうと思い立ったわけだ。
個人に関する事柄は書かない。ここでは3つの場面だけ取り上げたいと思う。
一つ目はこの人が予約を取る時の状況だ。
この人は先週の火曜日に電話してきた。定休日なので僕は不在である。だから留守番電話に吹き込まれていた。それでもこの人は現地まで来て、ここの電気が消えているのを確認する。その上、建物に入って二階の人に三階のカウンセラーはどうしたのだと尋ねている。
翌日、二階の人から昨日こういう人が来たという知らせを受ける。僕はお手数をおかけしたと謝礼する。そういうこともあったけれど、それはこれから取り上げることと直接的には関係しないので置いておこう。
二つ目は面接時のことである。
最初にこの人が言ったのは継続するだけのお金がないということだった。それで今日のこの一回で終わらせてほしいということであった。
ちょっとだけヒントを出すと、これはつまり僕に考える時間とか余裕を与えないということなのである。
三つ目の場面は、同じく面接時のことである。新規のクライアントは申込票に記入を求めるのだけど、その時のことである。
この人は昨夜子供に手伝ってもらって話の概要を作成してきた。申込票を記入している間にこれを読んでくださいと僕に求める。
以上の三つの場面を取り上げた。すでにお分かりいただけると思うのだけれど、この三つの場面にはある共通しているものがある。それはこの人のパーソナリティ傾向であり、おそらくこの人の問題に関係する部分である。
僕はここではこれ以上書かないことにする。これ以上書くとなるとどうしてもこの人の個人的な内容に触れなければならなくなるからである。
三つの場面で共通していることは何か。三つの場面と言っているけど、僕には一つのことしか見えていないのである。興味のある方はご自身でお考えになられたらよろしいかと思う。一つだけヒントを出すと、この三つの場面でもっとも排斥されているものは何かということである。僕は、これは抜け落ちているとかではなく、この人の中で積極的に排斥されてるものだと感じている。
そして、この排斥を生み出しているものがこの人の問題であると、現時点で僕は考えている。
当然ながら、その問題点は触れることはできなかったし、それどころか明確にもなっていない。表層的な話し合いだけして終わったのである。その人はそれなりに満足して帰ったのだけれど、僕は無意味な仕事をしたとしか感じられていない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)