1月2日:空しいながらに

1月2日(木):空しいながらに

 

 今日も日中は高槻で過ごす。職場にいると、時間が止まっているかのよう。世間はお正月ムードなのに、ここはまったくそんな気配すらない。

 それでも、朝のうちに初詣は済ませておいた。実家の近所の神社に参っておいた。地元の小さな神社もけっこういいものだと思う。たくさんの人が参拝することはなくても、地元民から大切にされている所といった感じが伝わってくる。

 一応、それで初詣は終了だ。正月らしいことをするのはここまで。後はいつもの日常に戻る。

 夜は兄夫婦たちが来るらしい。とは言え、毎年のことなんだけれど、悪いけど、僕は顔を出さない。身内が集まる場には顔を出したくない。とてもそんな場面に顔を出せる身分ではないのだ。正月だからと言って、ゆっくりしようなんて、そんな贅沢は今の僕には許されないことである。

 

 毎度のことながら、年末年始はテレビを見ない。普段から見ないんだけれど。何も面白いと思わない。大晦日の「笑ってはいけない」は、今回はどうしようかとまよったんだけれど、結局、飛び飛びに見た。見るのはそれだけだ。後はまったく見ない。

 まあ、正月なんで、めでたいっていうのは分かる。それにしても、年末年始の特番の、それもあのマニックな雰囲気がどうしてもついていけない。僕の気分にそぐわないわけだ。加えて、一つ一つの番組が長時間ときている。テレビの前に座ってるだけでもけっこうしんどいものだ。

 

 その分、職場でも、帰宅後も、本を読む。読む本を決めているのに、ついついあれこれと手を伸ばしてしまう。チョロチョロ読んでは次の本に、そういうことを繰り返していた。もう少し計画的に読みたいと思うのだけれど、なかなか上手くはいかない。

 ふう、それにしても、空しい一日だ。クライアントが来るということであれば、今日からでも仕事はするつもりでいたのだけれど、今年はスロースタートだ。まあ、年末に駆け込み需要があって忙しかった分、開始が後にずれ込むのは仕方がないか。

 

 昨年も例年通りの感じだった。クライアントの数は多くはないが、来た人の8割から9割は継続してくれている。それでいいと思っている。

 継続しなかった1割から2割の人のうち、こちらから継続を勧めなかった人もけっこうある。それを考慮すると、来た人のうち、それも継続を勧めた人のほぼ全員が継続していることになる。なかなかいい成績である。

 ネットの業者なんかは集客ということにこだわる。つまり、分母の部分を増やそうとする。僕は分子の方を増やしたいと思う方なのだ。最初からクライアントを篩にかけたいのである。選別したいのである。継続しそうな人、僕が一緒にやっていけそうな人だけに続けて欲しいと思っている。他の人たちは、おそらく僕とは上手くいかないだろうし、他の臨床家の方が上手く関わるだろうと思う。無理に僕に縛り付ける必要もないと思っている。

 まあ、そんなことを言いつつも、今日も終わろうとしている。今年はどんな人と出会えることか、楽しみに思う面もある。今日は空しい一日を送りながらも、それなりの感情体験をした日だった。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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