<テーマ61> DV「被害者」の「反復強迫性」
かつてDV「被害者」だった女性が久しぶりに面接を受けに来ました。彼女の以前のカウンセリングは不完全なまま終わったのでした。彼女は暴力的な夫とどうにか離婚までこぎつけ、彼女はそれでよしとしたのでした。それ以上のカウンセリングを彼女は必要と感じていなかったのであります。私は一抹の不安を抱えながらも、彼女の終結を受け入れたのでした。
それからおよそ一年後、突然、彼女は予約を取って私に会いに来たのでした。そして「元夫から暴力を振るわれた」と述べたのであります。離婚して、縁が切れたはずの元夫から、どうして再び暴力を受けたのか、そこに至る経緯がまったく不明だったので、私には何があったのか訳が分かりませんでした。私はそこを追及していったのであります。
彼女の話では、離婚して縁が切れたとは言え、夫婦生活時代に交わされた契約や名義などに関して、元夫に確認する必要が生じたと言うのであります。それでわざわざ彼女の方から元夫の所に出向いて行ったのであります。離婚してから何度かそういうことがあったようであります。
いきなり現れた元妻を見て、彼は開口一番に怒鳴りつけ、彼女に蹴りを入れたのであります。細かい描写は控えますが、それは彼女がこれまで経験したことの、単なる再現でしかありませんでした。そればかりか、確認するという彼女の所期の目的は達成されずに終わったのでした。
彼女は私を訪ねてきて、一体、彼にどう接したらいいのだろうと訴えるのであります。これは一年前、彼女がカウンセリングを継続して受けていた時期とまったく同じ訴えなのであります。彼女は以前と変わらない問題に取り組み、以前と同じ光景を繰り返し体験してしまっているのであります。
それよりも、私はなぜ彼女が元夫に会いたかったのかという、その気持ちに焦点を当てていきました。彼女の話すところでは、元夫への確認事項は電話でも十分行えるものでありましたし、FAXやメールで尋ねても良かったのであります。その方が手間はかからないのであります。あるいは離婚する時に相談した弁護士を介してもよかったのであります。常に第三者を挟んで話し合うということは、以前彼女が夫に対して採っていた防衛策だったはずであります。しかし、彼女はそういうことをしないで、直接、彼に会いに行っているのであります。彼女の行動はどこか不合理で非論理的なのであります。
「あなたは彼に会いたかったのですか」と尋ねても、「あんな男には会いたくもありません」と答えるのです。「でも、あなた現実に会いに行かれたでしょう」と私は応じます。彼女は「用件があったからです」と答えます。さらに、私は「しかし、その要件は直接会わずとも可能なことだったのではありませんか」と問い返します。そういうやりとりがかなり続きました。彼女はイライラしたようでした。私は、明らかに彼女にとって言いにくい何かを取り上げているのだと感じました。
最終的に、「一体、彼と会う本当の目的は何だったのでしょう」と尋ねたところ、彼女は「実は仕返しをしてやりたかったのだ」と答えたのでした。それが彼女が彼に会いに行った真の動機だったのであります。
元夫と離縁して一年間、夫への恨みを彼女は抱え続けてきましたが、彼女の話では、一方で自分がこの一年でとても鍛えられたように彼女は体験していたのであります。この恨みと自信が今回の行動となって結実したのであります。一年前まではやられる一方の自分だったけど、今の自分はもっと強くなっている、やり返せるだけの強さを身に着けていると彼女は信じていたのでした。結果的に、彼女のこの信念は覆されてしまったのであります。
彼女の例は、私たちに次の二つのことを教えてくれるものであります。
まず、この例は「被害者」が「被害者」の立場、役割から抜け出すことの困難さを示していると思います。
それと、「被害者」が犯してしまう誤った解決策をも示しているように思います。その解決策とは、自分の人生を滅茶苦茶にした「加害者」へ復讐して恨みを晴らすという方法であります。こちらの方から先に取り上げてみたいと思います。
この解決策が誤っているというのは、この解決には限界点がないためであります。つまり、ここまでやれば恨みが晴れるという臨界点がないのであります。私が「被害者」の立場であれば、「加害者」に暴力で仕返ししたとしても、そこで気分が晴れるどころか、更に「加害者」からの報復を恐れるようになるだろうと思います。そして、相手に報復されないためには、最終的に相手の息の根を止めなければならないというところに行き着くことになるだろうと思います。しかし、相手を刺し殺したとしても、相手の霊が憑りついてしまったのではないかなどと心配するかもしれませんし、絶命する瞬間の相手の形相が脳裏に焼き付いて離れないという一生を送ってしまうかもしれません。恨みを晴らしても、相手が常に付きまとって離れないという点では何も変わらないのではないかと私には思われるのであります。いずれにしても、相手を刺し殺した場合、刑に服さなければならなくなりますし、前科者として残りの生涯を生きなければならなくなるわけであります。それもまた、「加害者」のもたらした痕跡となるのではないでしょうか。
もう一つの方は、「被害者」は相手との関係でどうしても「被害者」役になってしまうということであり、なかなかそこから抜け出すことができないということであります。それは「加害者」との間で形成された関係が変わっていないからであります。この女性の例では、確かに彼女自身は一年前よりはるかに変わっているのであります。しかし、相手との関係は変わったとは言えないのであります。離婚して縁が切れただけなのであります。
またここには、「心の病」の「反復強迫性」の問題もあります。この問題はどういうことかと言いますと、苦しいことを無意識的に再現してしまうということなのであります。詳しくは「反復強迫」について項を設ける予定でありますので、そちらを見ていただくことにして、ここでは彼女の例に基づいて述べます。
結局のところ、彼女のカウンセリングは不完全だったのであり、それが今回のようなことへとつながったのであります。彼女自身が自分が体験していることをしっかりと見ることができなかったためであります。当時は夫と離婚するという点だけが彼女の関心事でした。当時の私はそれは仕方がないと思っていました。まず、この暴力的な夫から離れられるということが彼女にとって第一でした。それをしないでは彼女のカウンセリングはおろか、彼女の存在自体が危ぶまれるのでした。私の計画では、そういう外側のことを解決して、彼女自身の安全を確保した上で、カウンセリングを始めていこうとしていました。しかし、彼女は離婚が成立するとさっさとカウンセリングから離れて、今回のことに至ったわけであります。要は、以前のカウンセリングにおいて、自分の体験を彼女は何一つ見ていないに等しいのであります。しっかり見ることをしないがために、再現しなければならなくなるのであります。自分の感情を処理できていながために、再現することで処理しようとしてしまうのであります。
彼女は一年ぶりに私のカウンセリングを受けて語ったことは、「分かりました。彼とはもう会いません」ということでした。彼女はそうしてカウンセリングから再び離れていきました。「会わなければ、それで済むのだ」と考えられたようです。彼女自身の成長や変容ということは、彼女には考えられないかのようであります。自分のかつての体験を語ることは、それだけで苦しいのだろうとは思います。あるいは私に対しては言いにくいという感じがあるのかもしれません。それならそれで他の臨床家の門を叩いても構わないと思います。自分自身の体験をしっかり振り返り、それが内面にきちんと収まらない限り、彼女は同じことを再現してしまわざるを得ないだろうと思います。
私の述べることは彼女には理解してもらえませんでした。恐らく、彼女はいつかまたDVを再現してしまうことになるでしょう。「被害者」立場を再体験してしまうことでしょう。彼女が離婚して、一年が経ちましたが、彼女のDV問題は終わっていないのであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)