<テーマ41> 夫婦関係の問題としての「離婚」 

 

(41―1)DV問題と離婚問題は切り離すことができない

(41―2)離婚は幅広い問題である

(41―3)一人の人生における離婚

(41―4)離婚後の注意点

(41―5)本項以降の流れ

 

 

(41-1)DV問題と離婚問題は切り離すことができない

 夫婦の問題については二つの大きなテーマがあると私は捉えています。

一つは既にいくつか論じてきましたDVです。そしてもう一つは離婚の問題です。夫婦間の問題を抱えてカウンセリングに訪れる人は、たいていこの両者のどちらか、あるいは両方を持ちかけてくるものなのです。

 このホームページの原稿を書き始めた頃、私は離婚もDVもともに夫婦関係の問題として一緒に扱おうと考えていました。しかし、両者はそれぞれが大きな問題であるので、二つに分けて掲載していった方が良いように思えてきました。それで、今後は離婚のことは「離婚」のページにて、DVのことは「DV」のページにて掲げることにします。

 ただし、これはこのホームページ上における分類でありまして、読む人、検索する人の便宜を考慮してのことであります。現実には、離婚問題にはDV問題が潜んでいることも多く、DV問題が離婚問題へと発展することも多々見かけられるのです両者は現実には区別できないものです。その点をご了承していただきたいと思います。

 両者が区別できない領域であるために、できれば双方のテーマに目を通していただければ幸いに思います。

 

(41―2)離婚は幅広い問題である

 さて、離婚の問題を考えていきますと、それが単に離婚という一出来事の問題に尽きないということが理解されてくるのです。

離婚の問題を考えることは結婚の問題を考えることにもなり、更には未婚、非婚(未婚とは結婚していない人のことで、非婚とは結婚を拒否しているとかできないと捉えている人のことを指す、というようにここでは理解してください)の問題をも含めて考えざるを得なくなるのです。

また、離婚はその人の人生上の大きな出来事であり、それは結婚に劣らずその人の人生を左右するものと私は考えていますので、その人の一生を視野に入れて考察するべき問題であると理解しています。

従って、離婚という単一のテーマであって、そこに含まれるテーマ、今後取り上げることになるであろうテーマはとても幅広いものとなっていくと思います。

 また、離婚は当事者である夫婦だけの問題で収まらないのです。その夫婦の子供もまたこの問題に巻き込まれてしまうものです。子供だけでなく、しばしば親や親類、友人たちをも巻き込んでしまう例も少なくありません。巻き込まれる人たちのことも取り上げることになるでしょうし、そうして巻き込んでしまう夫婦のことも考察してみる予定をしています。

ここで周囲を巻き込んでしまう夫婦のことを、若干先取りして申し上げますと、どれだけ周囲を巻き込むかということは、その夫婦の成熟度と関係があるように私は捉えております。もちろんそれぞれの夫婦の状況というものに違いがあるので一概に断言できるものではありませんが、夫婦のそれぞれが未熟な部分が多いほど、夫婦間の問題を自分たちだけでは抱えきれず、周囲を巻き込まざるを得なくなってしまっているように思います。

 この「未熟」さということにも注意しておく必要があります。それが身体であれ心の領域であれ、個人にはよく成熟している部分もあれば、十分に成熟していない部分もあるものです。あらゆる部分が完全に成熟しているという個人は存在しないのです。十分に成熟していない部分を「未熟」と表現するわけですが、これは固定的な観念ではなくて、「これから成熟する可能性を秘めている」部分であるのです。この言葉をそのように理解していただきたく思うのです。

 夫婦関係における未熟さとは、夫として、妻として、あるいは親として、不適合感を体験しているという形で見られるように私は思うのです。当人が意識しているか否かは別としても、どこか自分が当てにできないでいるし、役割に相応しいように思えていなかったりするのだと思います。

 そのため、その人たちは自分が夫として、妻として、親として、自分がそれに適合しているかどうか周囲に確認を求めずにはいられなくなるかもしれませんし、支持や味方を人一倍求めてしまうようになるかもしれません。そうして結果的に周囲を巻き込んでしまっているということが、案外生じているのかもしれません。

 

(41―3)一人の人生における離婚

 さらに、離婚の問題は、その当事者の離婚前の問題と離婚後の問題をも含むことになります。従って、離婚だけを取り上げるのでは十分ではなく、先述のように結局は、一人一人の離婚者の人生全体が視野に入ってくるのです。人の一生というものが一つの連続体を成している以上、離婚はその時だけのイベントとして捉えることは望ましくないのです。その人の生まれてから現在までの流れにおいて、離婚ということが生じているのでして、更に、離婚後もその連続線上において、その人は生きていかなければならない、人生のプロセスを続けていかなければならないのです。離婚の問題を考える際には、この視点を持たなければならないと私は痛感しています。

離婚を人生の一時点における一つのイベントのように捉えてしまうから、「離婚はしてはいけない」とか「世間体がみっともない」とかいう不毛の議論に陥ってしまうのだと私は考えています。

 離婚問題は当事者の人生という枠の中で考える必要があるのです。そして、離婚は苦境に陥った夫婦の選択肢の一つに過ぎないということも理解しておく必要があります。離婚は常に唯一の解決策とは限りませんし、また、離婚が常に最適な手段であるとも限らないのです。そうした観点も忘れてはいけないと私は思うのです。

 

(41―4)離婚後の注意点

 離婚が望ましいという場合があるとすれば、それは二人がそのまま結婚生活を続けていけば双方がダメになっていくというような関係にある状態だと私は考えています。もちろん、そこから関係や状況の改善を試みることもできるでしょう。だからそれが唯一絶対に望ましいというわけでもないということはお断りしておきます。

 さて、もし離婚した場合、二つのことを私は注意しておきたく思います。

一つは、離婚しても相手との関係は続くことになります。子供がいる場合だとそれは猶更です。だから、離婚後も相手とは上手く付き合うことを学んでいかなければならないのです。そうでなければ、完全に絶縁するしかないということになってしまうからなのです。

 従って、離婚した途端、相手を一切寄せ付けないようにするというのは、相手が危険視されている人物であれば別かもしれませんが、その人の人間関係の拙さを示しているのだと私は思うのです。関係を続けなければならないのだとすれば、完全に絶縁したりするよりも、上手に関係するという道を模索する方が建設的であると私は考えています。

 もう一つは、離婚した場合、当事者はもう一度自分の結婚観、夫婦感、あるいは恋愛観などを振り返っておいた方がいいということです。結婚に何を求めていたか、人生のどういう時期に結婚を決意したか、夫婦とはどういうものだと考えていたか、配偶者だった相手を含めて恋愛をどのようにしてきたか、どのような愛し方をしてきたか、相手からどのように愛されることを望んでいたか等々、そうしたテーマについて、もう一度自分自身を振り返ってみるといいと思うのです。

 あと、補足的にいくつか私の思うところの注意点を述べます。

 いくら相手との離婚を望んでいたとしても、離婚して「ハッピー」になるなんて思わないでください。離婚ということは、それまでの結婚生活、夫婦時代を失うということです。離婚直後は解放感があったとしても、いつか「抑うつ」感情に襲われるようになるかもしれません。そういう人も多いし、心の健全な人ほどそういう体験をしてしまうものと私は考えています。

 もし、離婚して「ハッピー」だということであれば、その人はすでに過去を自分から切り離して生きているということになります。そういうことができるのはかなり「病的」な人だと私には思われるのです。自分の過去を自分の自我に統合せず、容易に切り離すことができるということは、その人の自我がすでにバラバラになっていることを示しているように思うからなのです。

 従って、いくら望んでいた離婚であっても、その後、喪失感に襲われたり、抑うつ気分に陥ることもあり得ると思ってほしいのです。

 しばしば、この喪失感や抑うつ感を防衛するために、つまり、それらを体験してしまわないようにするために、象徴的に相手との関係を維持する人もあります。相手を延々と憎悪することでそれをしてしまう人もあります。その人はそうせざるを得ないように体験しているのだと思いますが、私はそれはそれで不幸な生き方ではないかという気がします。

 そのような人にとって、離婚は何かの終わりと体験されているのかもしれません。だからその人の中でそれを終わらせないような努力がなされてしまうのかもしれません。確かに離婚はいろんな面で「終焉」を意味してしまいますが、同じだけ何かの「始まり」という側面を含んでいると私は思うのです。かつて結婚がそうであったように、離婚もまた何かの終わりと始まりを含んでいるのです。

 あと、子供に関してですが、親が離婚すると子供は片親に育てられることになります。多少子供は苦しむかもしれませんが、親の離婚それ自体が子供を苦しめることは少ないと私は考えています。

 子供が苦しむのは、親の離婚によって、親との関係が変わってしまうことにあると私は思います。親もまた子供との関係を以前とは違ったものにしてしまうこともあります。そうならざるを得ない状況というのも確かにあるでしょう。従って、離婚した場合、尚且つ子供がいる場合、双方が子供との関係ということを常に考えておく必要があると私はそう考えています。

 

(41―5)本項以降の流れ

 今後の予定でありますが、まず本項に続く<テーマ42>から<テーマ45>までの四回は、かつて「マイベストプロ大阪」に掲載していた原稿を再録します。当時、離婚問題を持ちかけてくるクライアントが多かったので、それに取り組んでいた時に書いた事例を掲げます。Aさんと仮に名づけました。

Aさんのカウンセリングはかなり以前に私が経験したものでありますが、「マイベストプロ大阪」のために書いた原稿は昨年書かれたものであり、基本的に私の考えは変わってはおりません。

 それ以後のテーマに関しましては、Aさんの事例以後に「マイベストプロ大阪」に掲載した内容のものを新たに書き直していく予定でおりますし、更にその後に継続していく予定をしていたテーマをも掲載していく予定です。「マイベストプロ大阪」での掲載は途中まででしたので、今回、これを機に最後まで継続させていく予定をしています。私の考えていることや経験したことが、一人でも誰かの役に立つことを私は願っています。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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