<テーマ36>カウンセリングの期間
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これまで、一回のカウンセリングの時間、カウンセリングとカウンセリングの間の間隔について述べてきました。ここで時間に関しての三つ目のテーマであるカウンセリングの期間ということに焦点を移していくことにします。
カウンセリングの期間というのは、カウンセリングを始めてから終結するまでの間のことを指しています。全体の期間ということであります。
このカウンセリングの期間というテーマは、なかなか論じることが難しいものです。それは次の三つの問題点を含んでいるからであると私は考えています。
一つ目は、まず、カウンセリングの終結とはどういうことであるかという問題があります。
二つ目は、この期間を決定するのはだれかという問題であります。
三つ目は、カウンセリングの期間ということがそれほど重要な問題なのか否かということに関するものであり、また、それは誰にとって重要なのかという問題であります。
上記の三つの問題点については、後で個別に述べていくことにしますが、ここでは大雑把に私の考えているところのものを述べておきます。
一つ目の問題、カウンセリングの終結という問題ですが、どのクライアントであれ、そのカウンセリングの終結の時が来るのです。ここでカウンセリングを終結しても、その人の人生は引き続き展開されていくものでありますから、その都度、カウンセリングを必要とされるクライアントもあります。この意味では、完全な終結という概念はあり得ないことなのかもしれません。
二つ目の問題点である、この期間は誰が決定するのかということに関しては、これが本項の主題になり、後に詳述していくので、ここでは簡潔に済ませます。この期間はクライアントとカウンセラーの同意に基づいて決定されるというのが私の考えなのです。
(2)
三つ目の問題点の期間の重要性についてですが、これもまた重要な事柄ではあります。まず、この問題から考察してみようと思います。
一部のクライアントにとっては、自分がどれくらい通うことになるのかという見通しがついていないと不安になって仕方がないという人もおられます。そこには費用とか時間の関係もあるでしょう。
将来に関しては何事も明確なことは言えないのですが、私は当面の目安として、半年から一年程度通う気持ちでいてくださいとお伝えすることにしています。
これは、決して半年や一年でその人の抱えているものがすべて解消するとかいう約束ではありません。そのことは十分にご理解していただきたいのです。そんな約束は誰もできない類のものであります。でも、私の経験では、カウンセリング関係が上手く築かれていれば、またクライアントの取り組みの姿勢によっては、半年や一年でクライアントの状態がかなり変わってくるものなのです。
カウンセリングの期間が、一部のクライアントにとっては重要な問題であるように、臨床家に中にはそれを重要視する方々もおられます。
個人的には、カウンセリングであれ、その他の「心の問題」を手掛ける行為に関して、スピードを競うようになってはいけないと考えています。
実はこのテーマは歴史があり、精神分析の初期の頃から治療の短期化を目指した人たちがいました。さらに、これは私の個人的な印象に過ぎないかもしれませんが、いかに短期間で終結するかということがますます重視されてきているように感じています。
私はそれはあまり望ましくない兆候であると捉えています。もし、臨床家が時間を競うようになれば、それはいかに素早くクライアントを望ましい状態に変えていくかという一点に注目することになってしまいかねないかと危惧しているのです。そこではテクニックが重視されるだろうし、テクニカルな関係に陥ってしまうのではないかと思うのです。
私にとっては、カウンセリングの短期間も長期間もあまり関係がないと考えています。短期で終えることが素晴らしいとも思いませんし、だからといってダラダラ長引いてしまっているというのも望ましいとは思いません。クライアントがそこで少しでも何か得る所のものがあれば、そのカウンセリングは十分価値があるものであり、通い続けて十年経ってもクライアントがそういう体験をするのであれば、意味があると考えています。外的な時間の長短にそれほど拘らなくてもいいのではないかと私は考えています。
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さて、ここでカウンセリングの期間は誰が決定するのかという問題を取り上げることにします。
私が以前勤めていたクリニックでは、臨床家がそれを決めていました。面接回数を最初に設定するのです。これはマンの「時間制限精神療法」の理論に基づいているのだという説明を受けたことがあります。
私もそのやり方で試みた経験があります。一定の回数をクライアントと契約することになるのです。利点もありました。少なくとも、その回数分はクライアントも私も双方が守られているという感覚がありました。30回という回数を設定して、同意の上で始めた場合、私の方にも30回までの余裕が生まれるわけであり、クライアントも30回までは来ることができるという安心があるのです。
これは一回ごとの契約で行っていく場合に比べると、本当に双方が守られている感じを体験するのです。現在、私は一回ごとの契約でやっていますが、これは、今日が最後になるかもしれないという可能性と常に隣り合わせで仕事をしていることになり、半端じゃないプレッシャーを私は体験しているのです。時間制限式でやっていれば決して体験できなかったことだと思います。
しかし、後半になると、私は自分がその回数に縛られている(恐らくクライアントもそうだっただろうと察します)ことに気づきました。そして、無理な動きをしてしまうのであります。これは私だけかと思いましたが、私の上司たちも案外同じような束縛を経験しているのではと思える場面もありました。安心をもたらしていた回数ということが、束縛となってしまって、双方が自然さを失っていたように思います。それは私の技術上の問題であると言われればそれまでなのですが、どうも私にはそのやり方はうまくいかなかったのでした。
また、あるクライアントは他所でカウンセリングを受けに行った時のことを話してくれました。このクライアントはそこで「どのコースになさいますか」と聞かれてびっくりしたと言います。私は「そのコースっていうのは何ですか」と尋ねてみますと、それは例えば「10回コース」とか「20回コース」とかいうようなものだったのです。クライアントは話します。「こんなコースって意味があるのかしら」と。私も同感であります。一般のサービス業であれば、このようにお客さんがコースを選べるというのは、お客さんにしてみれば嬉しいことでしょうけれど、カウンセリングでそれをすると、かえって困惑するクライアントもおられるのではないかと私は考えます。
また、回数を臨床家が設定することは、臨床家としては「10回単位」で面接を重ねていくつもりで伝えたとしても、クライアントはその10回ですっかり良くなるというように誤解される方もいらっしゃるのではないかと思います。その辺りのことも、私が賛成できない部分であります。
基本的に、私の方から回数を設定するということはしません。ただ、先述のように、半年から一年くらいかけるつもりで受けてほしいということは伝えることがあります。それでも、厳密に何回受けなさいというようなことは言わないようにしています。
私はクライアントがカウンセリングを必要とするだけ受ければいいと考えております。しかし、このことは、クライアントが好き勝手に中断してもいいという意味ではありません。それに関しては別項にて述べるつもりでおります。
多くの場合において、クライアントはカウンセリングから離れていくものであります。終結するというより、離れていくと言う方が、私にはより事実に近いように思います。そして、その時期というのが、私にもある程度予期できるのであります。従って、このクライアントはそろそろカウンセリングから離れていくだろうなという予感がすると、そのクライアントは面接の間隔を広げたりして、離れる準備を始めるのであります。もし、カウンセリングがうまくいくと、クライアントは徐々に外側の世界に関心を向けるようになっていくものであります。そして、その人にとってカウンセリングよりも重要だと思われる事柄に少しずつ取り組むようになっていくものであります。そうなっていくと、しばしばクライアントの方から終結を申し出るものでありまして、私もその人のこれまでのプロセスをみていると、その終結に同意できるのであります。継続がお互いの同意のもとでなされるのと同じように、終結もお互いに同意の上で終わりたいというのが、私の望んでいることなのであります。
また、カウンセリングの最初の時点で、クライアントがどれだけの援助を求めているかということにもクライアントによって差があるものであります。一人一人が異なっているのに、こちらが一律に回数を設定するというのは、やはり無理なことではないかと私は考えているのであります。
カウンセリングの期間に関する私の考えをまとめておきましょう。
私は基本的に回数を設定はしません。しかし、クライアントには半年から一年程度通うつもりでいてほしいと願っています。そして、終了に関しては、クライアントと同意の上で終わりたいのであります。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)