<テーマ14> カウンセリングの「枠組み」

 

(14-1)五つの「枠組み」

(14-2)「枠組み」が職業的関係を維持する

(14-3)「枠組み」がクライアントの日常から区別をつける

(14-4)「枠組み」は多少の許容範囲がある

(14-5)「枠組み」を守る強さ

(14-6)時間短縮を要求した女性クライアントの例

(14-7)本項の終わりに

 

(14―1)五つの「枠組み」

 カウンセリングにおける「枠組み」とは、カウンセリングを外側から規定している事柄のことであります。簡潔に述べれば、カウンセラーとクライアントの双方が守る事柄のことであり、約束事のことです。

 この「枠組み」には五つの項目があります。それは、時間、料金、場所、予約制、行動の制限という五項目です。それと、追加として、録音ということに関しても述べていくことにします。

 私のカウンセリングは、原則として、そこでのやり取りを録音します。もちろん、クライアントの許可を得て、録音させてもらっています。

 

(14―2)「枠組み」が職業的関係を維持する

 個々の項目については後々述べていくことになりますが、その前に、なぜ、こういう「枠組み」が大事であるかということを述べておきます。

 まず、こういう「枠組み」がないと、カウンセラーとクライアントの関係は日常の人間関係と変わらなくなってしまうのです。日常の人間関係にはこのような「枠組み」は存在しないか、明確にされていないものです。礼儀とか習慣、約束事というのは多少なりともあるとしても、きっちりとした「枠組み」として規定されているものはほとんどないのであります。従って、職業的関係を維持するためにもこうした「枠組み」は欠かせないのです。他の職業的な関係においても同様なのですが、こうした「枠組み」がないと、カウンセリング関係が成り立たないのです。

 

(14―3)「枠組み」がクライアントの日常から区別をつける

 また、後々述べることでありますが、カウンセリングはクライアントの日常から距離を置いた場所でなされる必要があるのです。「枠組み」はクライアントをして、日常から区別するために役立つのです。

 この「枠組み」があるために、カウンセリングはクライアントの日常の生活から区別されていくのです。そして、この「日常から区別される」ということが、とても大切なのです。それは後の「時間」や「場所」に関する箇所で述べることにします。

 

(14―4)「枠組み」は多少の許容範囲がある

 この「枠組み」をどれだけ厳密に守るかということに関しては、臨床家によって多少の考え方の違いが見られます。また、カウンセリングを実施する機関によっても、考え方に違いが見られることもあります。

 「枠組み」を厳密に守る臨床家もおられます。例えば、週に一回会うという約束をすれば、クライアントがどんな状況であっても間隔を狭めたりはしないという人もあります。一切例外は認めないという立場です。それはそれで意味のあることです。また、曜日や時間まで一定してしまう臨床家もおられます。中には、毎週同じ時間に会うだけでなく、同じ服、同じネクタイをして会うという臨床家もおられましたが、私はそこまでしなくてもいいのではないかという考えでいます。

 私は、「枠組み」は守る必要があることは理解しておりますが、そこに多少の許容範囲があってもいいという立場を採っています。例えば、週に一回のペースで面接を重ねていこうという約束をクライアントと交わすとします。今週は水曜日だったけれど、次週は木曜日になったとしても構わないと捉えております。週に一回のペースが守られている限り、曜日が少々変動しても、それほど大きな問題となることはありません。それで問題になったことは、私の経験では皆無です。

 そもそも各々のクライアントにはその人の生活があり、その生活の中でカウンセリングのために時間を割いてもらわなければならないのですから、ある程度融通を効かさないといけない場合もあるものです。妥協できる余裕もなければならないでしょうし、何よりも、人間よりも「枠組み」の方を重視してしまうことは、本末転倒だと私は考えています。

 許容範囲はあるけれども、最低限のところのものを双方が守ることができれば、それなりに上手くいくものです。それについては今後述べていくことになるでしょう。

 

(14―5)「枠組み」を守る強さ

 ところで、こうした「枠組み」を窮屈に感じたり、束縛のように体験されるクライアントも少なからずおられます。

 確かに不便なものです。例えば、終了間際にクライアントが大切なことを思い出したとします。あるいは、その日話そうと思っていたことを最後になって思い出したりします。それでも基本的には時間が来たら終了となるのです。クライアントはせっかく話そうと思っていたことを次回に持ち越さなければならなくなるのです。こういうのはクライアントにとっては不便で、窮屈な体験となるのではないかと思います。

 それでも時間が来たら終了するのです。それはなぜかと言えば、そういう約束だからです。ただ、それだけなのです。

 カウンセリングの「枠組み」に限らず、約束事を守るということは、相当な心的強さを必要とするものだと思います。クライアントがどれだけ「枠組み」に耐えることができるかということは、そのクライアントの強さを表すものです。例えば、精神的に不安定であったり、事態にあまりに圧倒されていたり、「自我が脆弱」(不適切な言葉でありますが)であったりするほど、クライアントは「枠組み」を守ることが困難になるのです。

 言い換えれば、「心の健康」(これもまた不適切な表現でありますが)な人ほど、こういう「枠組み」に適応することができるのです。つまり、「枠組み」に適応できるということは制限や約束事に耐えることができるということであり、「枠組み」として設定されている事柄に対して、そのまま受け入れることができているということです。それだけの強さをその人が有しているということを意味するのです。

 従って、矛盾するように聞こえるかもしれませんが、「重い病理」(同じく不適切な言葉である)を抱えている人ほど、「枠組み」が守れるようになっていかなければならないということになるのです。このような人は、許容範囲や融通があまり効かせられないのです。後々、「枠組み」を守れない人の例もいくつか挙げるつもりでおりますが、ここで一例だけ挙げておきましょう。

 

(14―6)時間短縮を要求した女性クライアントの例

 その人は女性でした。彼女は「面接時間を30分にしてほしい」と最初に要求してきました。こういう場合、私はまず「なぜ30分でなければならないのか」を尋ねることにしております。というのは60分も臨床家と向き合うのに耐えられないという人もおられるからであります。

 彼女の言い分は、一回を30分にして、料金も半分にして、それで週に二回来たいということでした。私は「30分を二回するよりも、60分を一回する方が有益である」ということを伝えました。彼女は「効果がなくてもいいから二回来たい」と、あくまで自分の要求を押し通そうとするのです。

 私は少し悩みました。私は60分単位で予定を組んでいるので、この人の要求をのむとすれば、私自身の予定を組むのが大変になりそうだという不安が生じました。でも、彼女の話では、面接が60分であってはならないという理由はないようでした。ただ、週に二回ずつ来たいということの方が彼女には重要なことのようでした。

 私は「週に二回でも構わないが、一回は60分取る」ということを彼女に伝えました。彼女は「いや、60分ではダメなんです」と答えます。でも、60分ではダメということの理由をどうしても彼女は言ってくれませんでした。私はあくまでも「面接時間は60分です」ということを彼女に伝え、「その上でどうするかを考えて下さい」と伝えました。

 一回目はそれで終わったのですが、彼女はその後も連絡を寄こしてきて、同じ要求を繰り返すのでした。私は最後まで「面接時間は60分取ります」ということを譲りませんでした。三回目で、彼女はようやく諦めたようであります。彼女は「半分の時間で半額で週に二回」という条件をのんでくれるカウンセラーを他に探すことにしたのでしょう。

 彼女が要求する事柄に対して、確かな理由が存在し、尚且つ、それが納得できるようなものであれば、私は彼女の要求をのんだかもしれません。「問題」は彼女のあの「押しの強さ」なのであります。私からすると、ものすごく強引で一方的なのであります。彼女のその傾向が、私には危険信号のように感じられていたのでした。

 彼女は60分の面接を拒んでいるのです。30分にして欲しいとは言うのですが、なぜ半分の時間にしなければならないのかという必然性は認められないのです。週に二回受けたいからだと彼女は言うのですが、なぜ週に二回ということに拘るのかもはっきりしないままでした。そういう点が不明瞭なので、私は彼女の要求をそのままのむことに抵抗があったのです。

しかし、その時の彼女の強引さというのは、「何が何でも自分の思い通りにしてみせる」といわんばかりの気迫だったのです。これはつまり、外側の規制に対して、それを守ることが困難であることの証拠ではないかと思いました。つまり、約束事を守ることに困難を体験されている方ではないかと捉えたのです。しかも、自分の思い通りにいかない状況に耐えることにも困難を体験されていたかもしれません。従って、最初に彼女の要求を受け入れると、後々、彼女に振り回されることになるかもしれませんでした。私はそれを危惧したのです。

 もし、彼女がカウンセリングを受けていたとしたら、彼女にとって辛い場面も多々生じたことでしょう。何よりも、彼女は「他人は必ずしも自分の思い通りにはならないのだ」ということを体験していくことになるでしょう。彼女はそれに耐えられないのだと思います。彼女のあの「押しの強さ」は、彼女の内面に他者が存在していないからなのでしょう。「相手には相手の都合がある」というようには考えないのです。「私がこうして欲しいと言っているのだから、そうするべきだ。それがなぜいけないのですか」という感情があるのでしょう。だからこそ、彼女は「枠組み」を守れるようにならなければならないのでした。他人の設定した「枠組み」に適応していくことが必要なのでした。

 誤解のないように弁解させてもらうのですが、私がこの女性を拒んだというようには思ってほしくないのです。彼女が一回でも「60分の面接を受けます」と言えば、私はそのまま引き受けたでしょう。それで「60分はやはりキツイ」ということであれば、私なりに何か考えることもできたでしょう。ただ、初めからいきなり時間も料金も半分にしてほしいというその要求に対して、私に納得できる理由が表明されなかったために、その要求に対してのみ、私はお断りしているのです。そこはご理解していただきたく思います。

 

(14―7)本項の終わりに

 事例の記述が長くなりましたが、個々の「枠組み」にはそれぞれ意味があります。意味があるから、このような「枠組み」が設定されているのです。それぞれの意味については、以下の項目において述べることにします。

「枠組み」を破ろうとする人の例や、私が敢えて「枠組み」を破ったというような例も後々記述していくことにします。とにかく、ここで理解してほしいと思う事柄は、「枠組み」には「治療的」な意義や目的があるのだということです。

 こういう「枠組み」に関して、長々と説明する必要はないと考える臨床家の先生を私は知っております。確かに、そういうことはクライアントには不要な知識であるかもしれません。しかし、私はやはり知っておいてほしいと願うのであります。と言うのは、無条件に「枠組み」を受け入れてくれるクライアントは少ないのではないかと、私は考えているからです。こういう「枠組み」に疑問や反感を体験しているクライアントも少なくないだろうと思うからです。

 次項より、具体的な項目に入っていくことにします。取りあえず、本項に於いて、特にご理解していただきたいことは、「枠組み」には「治療的」な意義や目的、意味があり、それらがあるために「枠組み」を設定するのであるということです。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

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