<テーマ13>DV~その「加害者」(続)

 

 「加害者」側の男性にはそういう傷つきやすさがあると私は考えています。彼らは常に警戒し、防御しなければならなくなっていることもあるように思います。そのため、「加害者」側の人の中には自己弁護に非常に長けているというような人も見受けられるのであります。

 「被害者」側の女性の話でしばしば確認できるのは、「加賀者」側の人と口論でもなった時に、必ず言いくるめられてしまって、自分(「被害者」側の女性)の方が悪いということを認めなければならなくなってしまうという事態であります。

 ある女性は、「夫は口が達者なので、私が何か言っても言い返されてしまうし、結局、言い負かされてしまう」と語ります。また、別の女性は、「夫と口論して、何について話しあっているのかもはやわけが分からなくなってしまって、最後には私が謝っている」と語ります。

 これはコミュニケーションの問題になってくるのですが、「被害者」側の女性にその時のやり取りをできるだけ忠実に思い出しもらって、再現してもらうと、けっこう絶妙な「すり替え」に遭遇することがあるのです。絶妙な「すり替え」というのは、話題になっていることの焦点や論点を少しずつずらしていって、まったく関係のないことにまで領域を広げていくのです。周辺の事柄や過去の事柄まで、あらゆるものがこの話し合い(論争)に入り込んできて、どれを選ぶかは彼が決めているのであります。

 例えば、仕事をしようとしない夫に対して、妻が「あなたも少しは働いて」と頼んだ例があります。夫は「何言うてんねん、俺がこういう人間やということを分かってお前は結婚したんやろ」と妻に返したのでした。コミュニケーションの観点から見れば、彼が妻の言葉にきちんと応じていないことがわかります。妻は夫に少しは働いて助けて欲しいという懇願をしたのでした。夫はそれを自分がこういう人間だということを分かって結婚したお前がそんなことを言うのは間違っているという論理を出しているわけであります。彼女の方は何も言い返すことができなかったと述懐していましたが、それもそのはずであります。全然違った返答が与えられたからであります。

 さて、前述のように「加害者」側の人の中には安定した人間関係を築くことの困難であるような人も多いようであり、そのために離婚歴を重ねているという人もおられるのです。そのような夫婦の場合、「被害者」立場の妻は、夫の以前の妻のことを聞かされていることも少なくないのです。

 その場合、夫は以前の妻をメチャクチャにけなすか、あるいはやたらと理想化するといったパターンが見られることもあります。以前の妻をけなす場合、現在の妻が理想化されており、過去の妻が理想化されている場合には現在の妻がけなされるといった関係性が見られるのであります。後者は、例えば、「前の妻はこういうことまでできたのに、どうしてお前はそれができないのだ」といった形で現在の妻に投げかけられるわけであります。こうした言葉が非常にダメージになると訴える妻もおられました。

 また、前者の場合においても、彼がなぜ過去の妻をそこまでけなさなければならないのかという点も理解されなければならないところであります。ある意味では、この夫は過去の妻と心的には離縁できていないようにも私は思うのです。心的に別れることに困難を覚えているのかもしれません。

 ある女性は恋人からの暴力問題で悩んでいました。彼らは未婚で、同棲しているわけでもありませんでした。そのため、彼ら二人のコミュニケーションは電話やメールでのものがメインとなっていました。彼女が特に傷つくのは彼の暴言でありました。交際を始めた初期の頃はそこまでひどくなかったのですが、だんだんとエスカレートしてきたようでありました。今では、彼からの罵詈雑言に彼女はたちなおれないほど傷つくと言います。

 次第に交際の頻度が減ってきて、その後、急に彼とは音信不通となったのでした。彼女の方から連絡を取っても着信拒否されているそうであります。一体、彼に何が起きているのか、彼女にはまったく理解できていませんでした。

 彼女の方でも複雑な気持ちであったようで、彼のことを放っておけないという気持ちがある一方で、このまま縁が切れてくれたらいいのにという思いもあったようでした。彼女がカウンセリングを受けに来たのは、この先どういうことになるか不安だということでした。
 私は彼女に次のように伝えました。「これまでのきさつから考えてみて、彼はあなたと縁を切ろうとしているようです」と。そして、「ただ、彼は普通に別れることが出来ない人ではないかと思います。相手を徹底的に破壊し、手ッて的に絶縁してからでないと別れることができないタイプの人のように思います」と伝えたのでした。

 どうしてこういうことが言えるのかと言いますと、彼女の話から、彼もまた部分的な対象関係を築く人であるように思われたのでした。対象である彼女は、彼にとっては、自己の一部のようになっていたのであります。従って、彼にとっては、彼女と交際することは、他者と交際することではなく、自分の一部と関係を結ぶという体験に等しくなるわけであります。

 自分の一部であった部分を切り捨て、それを失うということは相当な喪失感を伴うことでしょう。その喪失の苦しみから自分を守る必要が彼にはあるだろうと、そのように考えていくと彼のやっていることが理解できてくるのであります。失ってしまう前に破壊しなければいられないのです。壊してからでないと玩具を捨てられない子供と同じ心境なのだと私は思うのです。

 私はそのような印象をその男性から受け取るのでありますが、それを聞いて彼女はとても納得がいったと語りました。そして、「彼に暴言を吐かれるということはもうないでしょうか」と尋ねてきました。私は「彼の方はあなたと縁を切ろうとしているようなので、あなたさえ彼に関わらなければ大丈夫ですよ」と答えたのでした。こういう保証がカウンセリングの見地から見て望ましいことであるかどうかは意見が分かれるところであると思うのですが、少なくとも、彼女が彼に怯えて暮らすことからは解放されたのではないかと思います。

 私のその対応はともかくとして、「徹底的に破壊してからでないと別れることができない」という観点はとても大事なことであります。DV夫婦はそういう別れ方をすることがけっこうあるように思うのです。別れ際がもっとも暴力が激しくなるのです。対象を破壊するというのは、「加害者」にとっては別れるための儀式のようなものとして考える必要があると私は思うのです。

 従って、もし「被害者」側の人が「加害者」側の人と完全に縁を切りたいと望むのであれば、「加害者」側の破壊を遂行させた方がいいということになるのです。「被害者」側の人は自分の身を守ると同時に、相手にそれをさせておいた方がいいということになるのであります。下手に逆らったり、下手に関与してしまうと、却ってDV行為が長引いてしまうように私には思われるのであります。

 もちろん、それが唯一の解決策などと言うつもりは私にはありません。しかし、しばしば私が経験することなのですが、「被害者」側の人がカウンセリングを受けに来る時、「加害者」側の人がこの儀式の真っ最中にあるという印象を受けることがあるのです。特に、離婚がすでに決定しているというような夫婦の場合ではそうであります。あるいは、離婚が成立してから被がまだ浅いという場合であります。
 離婚が決まってから、あるいは離婚が成立してからの方が、相手の暴力が激しくなったと訴える「被害者」の人もおられるのです。そのような場合、相手に思う存分攻撃させておき、「被害者」側の人はそのダメージを受けないようにしなければならず、そのような方向で考えていかなければならないのであります。変に関係をこじらせ、ダラダラと関係が継続してしまう方が「被害者」側の受けるダメージは大きくなると私は考えています。尚、「加害者」側の人のこうした儀式についてはまた別の機会に取り上げることができればと思います。

 


そのような場合、私の考えでは、「彼に思う存分攻撃させなさ い、ただし、あなたはそのダメージを受けないようにしなさい」という方向で考えていかなければならないということになるのであります。その方が、彼との離 縁がよりスムーズに進むことでしょうし、変に関係をこじらせてしまう方が「被害者」のダメージも大きくなるかもしれません。
「加害者」側のこの儀式に関しては、いずれ項を改めて述べていくことにします。

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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