<テーマ13>DV~その「加害者」

 

 夫婦間、並びに恋人関係での暴力問題、いわゆるDVについての考察を続けることにします。

 先述のように、私は「加害者」「被害者」という言葉を使用しておりますが、それはあくまでもDV問題が生じている現場においての両者の役割を表わしているに過ぎないのでありまして、これらの言葉から一方的な見方に陥らないように私たちは注意する必要があります。このことは特に強調しておきたことであります。

 私がカウンセリングの場でお会いするのは、まず「被害者」立場にある人たちで、私の限られた経験では、それはすべて女性でありました。彼女たちは、夫もしくは恋人から、何らかの形で暴力を受けているということを訴えるのであります。彼女たちのような「被害者」を理解し、援助するということも必要なことでありますが、本項では視点を「加害者」の方に向けたいと思います。DV問題を考える際には、「被害者」を理解するのと同じように、「加害者のこともよく理解しなければならないからであります。そうでなければ、私たちは「加害者」に対しての偏見を強めてしまうことになるからであります。

 「加害者」側の人を理解すると言っても、これは容易なことではありません。というのは、「加害者」側の人とお会いすることがほとんどないからであります。私の場合、カウンセリングの場に「加害者」側の人が現れることがあまりないのであります。仮に、彼らがカウンセリングを受けに来たとしても、「妻に受けるように言われたから」であり、「そうしないと離婚すると言われたから」であったりするのです。自分自身の問題としての問題意識を抱えて訪れる「加害者」側の人は、私の経験した限りでは、ごくわずかでした。

 このような状況なので、「加害者」側の人を理解しようとすると、どうしても「被害者」側の人の報告に頼ることになってしまうのであります。以下に考察することは、そのほとんどが「被害者」側から報告された方向に基づいているということを、あらかじめお断りしておきます。従って、私の本項での考察には偏りが生じているであろうこともご了承願いたく思います。

 

 「加害者」となる人がどのような人であるかということは、一概には言えません。「加害者とはこれこれこういう人である」などと述べることはできないのであります。「加害者」側の人にもいろいろな人がおられるように思います。

 ただ、共通して言えることは、「人を愛することに困難がある」という点があるように私は感じています。もう少し正確に言うなら、相手と全人格的に関わることができなくて、部分的な対象関係しか築けないといった印象を私は受けています。部分的な対象関係というのは、相手の一部分だけに関わるというだけでなく、相手を自分の一部のようにして関わるという意味合いを含んでいます。対人関係において、そのような関り方をしてしまうという人が多いように私は感じております。

 尚、「相手を自分の一部」のように体験することと、「相手を自分の所有」として体験することとはまったく別種の事柄なのでありますが、それに関しては別項にてあらためて取り上げたいと思います。

 「加害者」側の人たちは部分的な対象関係しか築けない例が多いように私は感じているのですが、中にはそういう関係しか経験してこなかったという人もおられるように思います。例えば、親から「モノ」のようにしか関わってもらえなかったといった経験を積んでいたりするのであります。全人格的な関係を経験する機会が乏しいという人たちもおられるわけであります。

 ある「被害者」側の女性が語ったことですが、彼女の夫は子供時代から親に殴られてきたそうであります。それも理不尽な暴力であり、親の機嫌次第で殴られたり見逃されたりしたそうであります。この男性は「自分は親のサンドバッグだった」というように彼女に語ったそうであります。

 

 また、「加害者」側の人の中には、その生き方において極めて不安定な部分が認められることもあります。ただし、当人はそれを不安定とは見做していなかったり、それが普通とはちょっと違うのではないかと疑問に思ったりすることが少ないという印象を私は受けています。

 この不安定さというのは、例えば職を短期間で転々としたり、言動が一貫性を欠けていたりといった形で認められるものであります。また、一つの仕事を長く継続することができないとか、一人の人との親密な関係を長く続けることができないとか、そういう安定性を欠くという形で認められることもあります。

 さらに、職を転々とすると言っても、どこか一貫性が認められないという例もありました。例えば、学校の先生が退職して、塾の講師になって、それから教育評論家になったというような例であると、そこにある一貫性を認めることは容易であります。こうした一貫性が認められない、感じられないというわけであります。その時々で、刹那的に転職したり、職を選んだりしていることもあるのです。

 「加害者」側の人は、私の自験例では、男性が多いのでどうしても職業ということが際立ってしまうのですが、もう少し続けましょう。中には無職である例もあります、ある夫は妻に仕事をさせて自分は好き勝手なことをやっているようでした。何か気に入らないことがあると妻に当たり散らすようであります。この男性も以前は会社勤めをしていたのでしたが、解雇されてからは全くの無力になったようでした。その以前の彼がどんなふうであったのかは分からないのですが、解雇されてから後の「破綻」が非常に急速であるという印象を私は受けており、その辺りにこの男性の脆い部分が認められるように感じました。

 また、解雇であれ、転職であれ、「加害者」男性がどういう理由でその職場を去ることになったのかということも注目に値します。というのは、彼らが仕事を辞める時、しばしば何らかの問題を引き起こしている例がけっこうあるように思うからであります。よく耳にしたのが、彼らが職場で同僚や顧客とケンカ騒ぎをやらかすというものでした。何かトラブルを起こしてしまうのであります。ある「加害者」男性は、マナーの悪い客に注意したところ、その客が無視したというので、彼はその客を表に引きずり出してボコボコに殴ったそうであります。彼のこの行為は会社にとっても大問題となって、彼はそのために解雇されたのでした。彼の行為がいかに「短絡的」であるかを理解することは容易であります。客に注意して無視されたとしても、彼は上司に相談することもできれば、同僚に助けを求めることもできたでしょうし、その客に懇切に注意を繰り返すこともできたでしょう。いきなり暴力に飛躍してしまっているのです。しかも、彼は自分が何か悪いことをしたという意識がまったくないようでした。正しいことをしたのに解雇されたのは不当であると考えている節がありました。

 ちなみに、彼のこのような行為に対して、「決断力と行動力があって男らしい」と受け取ってしまう「被害者」女性も少なくないという印象を私は受けています。

 ところで、もう少し注目しておきたいところは、この客をボコボコに殴った男性もそうでありますが、客のちょっとした無視でさえ彼をひどく傷つけているであろうというところであります。この男性が妻に暴力を振るってしまう時も、おそらく彼がひどく傷つけられた時なのでしょう。妻の些細な言動でさえ、彼をひどく傷つけてしまうのかもしれません。妻の方では夫を傷つけたという認識がないので、彼女は自分が何をして殴られているのかまったく理解できていないのでした。

 

(注)本項は長文ですので、ここで区切りをつけて、続きは次項へ引き継ぎます。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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