2月26日(日):独りはアホらしい
今日は家庭の事情で臨時休業している。朝早く家を出て、意外と早く用事が終わった。昼ごろに用事は済み、僕は解放された。用事は大阪の方であったのだけれど、先日Yさんと一緒に歩いた辺りだった。まだ、あれから一週間と経っていないのに、随分前の事のようだ。
昼からは梅田の辺りを少し歩いて、古書店でついつい本を衝動買いしてしまう。4冊買って600円だった。得した気分だけれど、もっと節約しなければと思う。
昼食をどこかで食べようと思ったが、日曜の梅田はどこも混雑している。いろいろ探した挙句高槻まで戻ることにした。
梅田で電車に乗り、十三で降り、次の電車に乗る。途中下車したのは、近くに座っていたパープリン女子大生の一団が頭に来たからである。これは後で書こう。
高槻に着く。職場に着いて早速本を紐解く。少し読むものの、お昼を食べていなかったことを思い出す。夕方の遅い時間に昼食である。
職場に戻ると留守番電話が入っていた。メッセージは何もない。昨日の朝も微妙な時間に電話がかかってきた。10時前だったのだけれど、クライアントが来たので留守電に設定した直後に電話がかかったのだ。タイミングが合わなくて電話に出ることが出来なかったのは申し訳ないと思うが、心当たりの方は懲りずに電話をかけて欲しい。何か僕に用事のある人だと思うから、僕にとっても他人事ではないのだ。
職場ではパソコンをしばらくいじる。サイトのことをしようと思っていたものの、退室の時間になってしまった。
職場を後にして、しばらく高槻の辺りを歩く。家に帰って休んでもいいのだけれど、どうもそういう気分になれない。あちらこちらと一人で歩きながら、ここはYさんと歩いたなとか思い出している。何となく今日一日が物足りないのだ。そうか、今ここにYさんがいないということが辛いのかと、自分で納得する。
独身の男性クライアントから、時々、なんで結婚なんてしなければいけないんですかねと尋ねられることがある。その都度、僕は「どうしてでしょうねえ」などと答えるのだけれど、今の僕ははっきり自分の答えを持っている。
人がなぜ結婚なんかするのか、僕なりのその答えというのはこうである。つまり、一人でいるのがアホらしいからだ、というものである。
この答えを僕に気づかせてくれたのは、去年まで交際のあった女性友達である。彼女とはもう縁がないと決めているのだけれど、そういう点で僕の生き方を変えた人だった。その意味で、彼女は僕の人生では意義のある存在なのだ。
それまでの僕は、独りで生きると決めていた。いろんなことを研究したり、追及したりして、それで一生を終えても全然構わないと考えていた。独りでも十分充足しているし、充実している、愉しいこともそれなりにあると信じていた。それまでの生き方では確かにそれは事実である。旧約聖書では、神がアダムを作られた時に、「人間が一人でいるのは良くない」と言って、パートナーとなるイブを作られたのだが、「良くない」のではない。人間が一人でいるのはアホらしいからだ。今の僕はそう信じている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)