2月23日(木):喜びのかげに悲しむ人あり
昨日(22日)は僕にとっていいことがたくさんあった。一つはYさんとの関係である。会うごとに親しくなれている感覚がある。非常に嬉しいことである。
隣の工事が終了したというのも大きなことだ。それに3か月ぶりくらいに来てくれたクライアントのこともある。このクライアントのお陰で僕はいくぶん予定を変更せざるを得なかったけれど、こうして僕のことを忘れずにいてくれて、頼って来てくれたのはとても嬉しいことである。
後、些細な事であるが、厄介な電話もうまく処理できたし、僕が工事の騒音対策でやっていたパズルゲームも最終面をクリアできた。こういうものも一つ一つを見ていけば、けっこう嬉しい事柄なのだ。
仕事の方も昨日はそれなりにうまくいったと思えている。
招かれざる客もあった。いきなりやって来ては、「ここはカウンセリングの講義はされてますか」と尋ねた人である。僕は「そういうことはしていません」と伝えると、それではいいですと言ってお帰りになられた。年輩の婦人で、向こうはどうか知らないけれど、僕の方ではその人のことを覚えている。昔参加した勉強会を主催している人たちの一人だ。アポもなく、いきなりやって来ては、どこの誰とも名乗らずに、何の説明もなく、いきなり用件を切り出すような人は僕は信用しないことにしている。
この勉強会の人たちのことであるが、僕は個人的にあの人たちを好きになれないのだ。一人一人は別に悪い人ではない。むしろ生きづらさを体験されている人たちだ。そういう印象が当時から僕にはあった。
しかし、僕は確信していることなのだけど、いくら生きづらいとは言え、多少の常識的な事柄を身に付ければ、かなり生きづらさが軽減されるものでもある。昨日のその婦人も、「何々協会の誰それと申します。今回、当協会ではカウンセリングの講義を担当していただける講師を探しております。詳しく説明に上がりたいと思いますので、ご都合いかがでしょうか」と、事前に一言連絡を入れるだけで、無駄足を運ばなくても済んだし、もっと話が前に進んでいたかもしれない。本当に、要領の悪い人だ。
まあ、そういう招かざる来客もあり、久しぶりのクライアントとの面接もあり、厄介な電話もあり、Yさんとのデートもありと、とても賑やかな一日だった。でも、残念なこともある。昨日は本当は臨時休業にしていたのだ。午前中に仕事を一件こなして、午後からは僕の用事を済ませて、それからYさんと映画に行く予定をしていたのだ。仕事が入ったから、僕はYさんとの約束を果たせなくなってしまったのである。それで彼女は一人で映画に行くことになったのだ。
夜、彼女が映画から帰ってきて、会った。僕が映画はどうだったと尋ねたら、Yさんは「よかった」と答える。そして、「一緒に観たかった」とYさんが呟いた時には、僕はたまらなくなった。本当に申し訳ないことをしたなと思っている。前々から約束していたのに、僕の方が約束を反故にしてしまった。だからと言って、Yさんが僕を責めるでもなく、仕事なら仕方がないと諦めてくれたのだけど、やはり悪いことをしたなという感じに僕は襲われている。
一人の人に喜ばしいことや望ましいことが生じているその傍で、悲しい思いをしている周囲の人がいるものではないかと、僕は改めて学んだ気がする。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)