2月2日(木):変化
今日は午後過ぎまでクライアントと面接していて、それから少し昼寝をする。昨夜はあまり寝られなかったのもあって、今朝からとても眠たかったのだ。それに今晩、徹夜である。この徹夜仕事であるが、帰りが遅くなりそうなので、明日は午前中だけ休みにすることにしていた。徹夜の後、少しは眠りたいと思うのである。
いろんな作業に追われていて、今日も7時半過ぎくらいに職場に来て、あれこれ活動している。それから現在(19時)まで、面接と昼寝を除き、けっこうバタバタしている時間が多かった。忙しいのは構わないのだけど、それがそのまま儲けになるわけでもないし、けっこう張り合いもないものである。
さて、昼寝をした時、それは一時間程度の昼寝だったのけれど、その間に夢を見た。展示品のピアノを僕が弾いて、それを係りの者が咎めるのだ。その咎めが非常に激しくて、まるで重罪人扱いである。そこで僕は反抗するのだけれど、最後は銃撃戦のようになった。まず、銃を構えた兵士の一団が建物を取り囲む。僕はそこから脱出して逃亡するのだ。その際に、激しい撃ちあいをするのである。
こういう夢だったのだけれど、僕としては珍しい夢だと思った。僕の場合、あまり闘争的な夢を見ることは多くはないのだ。少し意外な感じがしている。でも、何が咎められているように感じられているのか、それに対して抵抗したがっているのかということは、何となくだけど、イメージできる。だから、この夢を見たということも頷けるのである。僕は今、ある種のルール破りをしている。別にそれは罪に問われるようなものではないのだが、僕の中ではそれを咎める自分もいる。それに対して抵抗し、反撃したがっている。そして、僕は自分の正当性を主張したいのだ、そういう気持ちもあるのだと気づいている。この「咎める自分」というのは、僕の頑なな「超自我」の表れで、融通のない、規則に縛られているような僕の人格の一面だろうと思う。こいつに挑戦し、変えていこうという作業が心の中で行われているのかもしれない。
いずれにしても、僕はこれから自分の中で何かが変わっていきそうだという予感を抱いている。
余談ではあるが、僕はこの半年で自分を今よりももっと変えてみせると誓っている。一月の末頃に誓った。「自由連想」もその一環である。どんなふうに変わっていくかは予測もつかない。それがどのような変化であれ、僕は怖いとは思わないし、受け入れたいと思っている。
今日のような夢を見ると、僕は実感する。僕は既に変化のプロセスに在り、変化は既に始まっているのだと。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)