1月31日(火):僕の「自由連想」
今日は定休日。休みの日はなるべく外を歩くことにしている。今日も、実際に外出する用事があったのだけど、4時間ほど歩いた。
昼過ぎに家を出て、駅に入る。ちょうどその時に、阪急京都線で人身事故があり、電車が動かなくなった。復旧の目途もつかないので、僕は一旦、駅を出る。駅前の喫茶店で自由連想の原稿を書く。今日は、本当は、それをする日ではなかったのだけど、急遽、することにした。
今、この自由連想が愉しくて仕方がない。原稿用紙10枚に、僕自身の事柄を書いていく。自由に思いつくことを書いていく。その際に、「質問者」を僕は設定する。書いていって、一段落つくと、その「質問者」に何か質問させるのである。そして、僕がその質問に答えるという形で連想を広げていくのである。一日おきにそれをする。一日目に書いて、二日目は書いたものを再検討する。これで1セットとしている。僕はこれを100回までは続けようと決めている。なぜ100回(200日)かと言うと、大体半年間くらいを想定しているからである。僕は、半年あれば人間は変われると信じている。もちろん、その人がそれに真剣に取り組むならという条件は付くが。僕は自身でそれを証明したいのである。半年後には、僕はもっと深みのある人間になっていたらと思っている。
さて、書き始めると、最初の3~4枚目までは順調に書くことが出来る。6枚目辺りで停滞する。抵抗が働くからだ。「質問者」に、この抵抗を打破し、さらに掘り下げるような質問をさせる。それでなんとか書き続ける。8枚目辺りで、「あっ!」というような発見(洞察)が出てくる。この発見は、僕を整理し、何をするべきかの指針を与えてくれる。そして、僕自身がより理解できるようになるのだ。
さらに、この自由連想をやった後は、いろんな発想が閃くのである。今日もこれをやった後、サイトの原稿の草稿を七つほど仕上げた。閃きや思いつきが活性化するのである。僕が僕の心の中の真実に触れるからだと思う。
再び駅に入る。河原町の方に出る。そういえば、先週Yさんと一緒に歩いたのだっけと、思い出す。あれから一週間しか経っていないのか。なんだか、もっと時間が経過したように思う。この一週間、バタバタして、内容の濃い日が続いたので、長く感じられたのかもしれない。忙しいと時間がすぐに経過するというのは、ウソだと思っている。忙しいだけでなく、頭を使うかどうかも関与するものだ。
河原町辺りを4時間ほど歩き、夕食を摂る。「餃子の王将」に入る。僕の横の方で、「サービスが悪い」と言って、ビールのグラスをひっくり返して、激怒して出て行ったおっさんがおったが、「ああ、僕もああなっていたかもしれないな」などと思いながら見ていた。酒飲みは怒りっぽいものだ。
その後、喫茶店にまた入って、本を読む。シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」を読み直している。若い頃に文学全集で読んだことがあった。十何年か前に文庫本で買い直したのだが、ずっと放置されたままになっていたのだ。それを今朝、引っ張り出して読み始めているが、確かに面白いし、読みやすい。若い頃は、「リード伯母はなんて冷たくて、分からず屋なんだ」と憤慨したものだが、今回読んでいると、「リード伯母の気持ちも分かる」と感じている。リード伯母からすると、ジェーンは自分とは縁もゆかりもない他人の子供なのである。その子を我が子のように育てることに関して困難を感じているのだろう。それを何とか自分の中で折り合いを付けようとして、それがジェーンに対してのあのような仕打ちとなって顕在化しているのだろうという印象を受けた。案外、リード伯母さんも「悪」ではなかったのかもしれない。こんな風に捉えるのも、僕が初読時よりも、年をとったからなのだろうなあ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)