1月29日:テレビの話

1月29日(日)テレビの話

 

 今週三度目の徹夜明けである。一日目は二時間ほど睡眠時間が取れた、二日目は一旦帰宅する余裕があった。今回は、帰宅する間もなく、職場から現場に行き、現場から直接職場に戻るということになった。その間、電車の中で途切れ途切れに眠っただけである。

 昨夜はあまり集中できなかった感じがある。いろんなことが気に懸かっていて、目の前の事に注意が集中しなかった。内面的にも、動揺というか、動き回るものがあって、落ち着かない感じがあった。何がそんなに気になっていたかということは、意識しているけれど、ここでは書かない。多少はヒミツや隠し事も持っていたいものである。

 今日は予定の仕事を終えたら、帰って休もうかとも考えている。このブログもいつもならスラスラ書くことができるのだけれど、今日はつっかえながら書いている。寝不足で頭がうまく働かないのだ。

 今日は日曜日なのに、隣の解体作業が行われている。見た感じでは、かなり終了に近づいているようである。早く終わってくれればいい。騒音はガマンするから。

 今日、帰る途中、コンビニに寄って、母から頼まれていたテレビ雑誌を買った。それをさっき見ていたのだけど、テレビを見なくなったなあとしみじみ思う。

 テレビはその放映時間に、テレビの前に座って見るのが一番いいと思う。録画すると、それを「見ないといけない」という気持ちに襲われてしまう。

 また、一つを見て、他方を断念するということもできた方がいいだろうとも思う。今は同時録画が普通にできるそうだが、こうなると欲が出て、あれもこれも見たいと思うようになるし、断念するということを学ぶ機会が失われていくように僕は感じる。あまり便利すぎるのも困りものである。

 そのことに関して、最近、嬉しいことがあった。いくつもの番組を録画して、それを見て過ごすというクライアントが、本当に見たいと思う番組を選ぶようになったのだ。僕はそれはとてもいいことだと思っている。あれもこれも見たいと思って、録画する。録画すると、今度はそれを「見なければならない」という強迫観念になる。こうして、録画した番組を見ることが「仕事」のようになってくる。

 僕は、個人的には、これは非常に空しい「仕事」だと捉えている。そのクライアントがそこから少し脱却してくれたらなあと、僕は前々から思っていたのだけど、クライアントの方から自発的にそういうことを始めたのである。それが非常に嬉しいのである。

 もちろん、「テレビばっかり見てはいけません」とか「見たい番組だけに絞りなさい」とかいうことを、僕が忠告することは簡単である。クライアントがそれを守ったとしても、それは僕に言われたからそうするというだけのことである。クライアント自身は何も変わらない。

 テレビよりも、より価値のある何かがその人にもたらされれば、自然とテレビから離れるだろうという期待をして、僕は待っていたのである。その人がテレビ離れを始めたということは、テレビ以上に価値のある何かを見出している、もしくは見出しつつあるのかもしれない。そう思うから、その人の行動が僕には嬉しいのである。

 僕も一時期はひどい「テレビっ子」で、テレビばかり強迫的に見ていた。確かに当時は面白いと思ってテレビを見ていたのである。僕の場合は、その後、テレビよりも面白いことや価値のあること、興味の持てる事柄が他にたくさんあるのを知って、徐々にテレビに魅力を感じなくなっていったのだ。そして、それが良かったと今でも思っている。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

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