12月23日(金):年末は嫌いだ
この二、三日の間に、数件、予約の変更、キャンセルがあった。皆「忙しくて」とか「用事で」とかいった理由である。年末はこういうのが多い。だから、僕は年末が嫌いなのである。おまけに、今日は祝日で、三連休となっている。いい加減にしてほしいものだ。まあ、ぼやいても仕方がないか。
今日が祝日であるということをすっかり忘れて、昨夜は喫茶店で原稿書きをしてしまった。喫茶店が満席で、僕はどうも独りで席を占有しているのがいたたまれなくなって、早々と店を後にした。その時、休日前であることを改めて思い出したのである。こうして、僕の予定は狂う一方である。
年末は28日までは高槻で仕事をする。一応、この日が仕事収めだということに、表向きはなっている。29、30日はアルバイトに行く。31日は、営業こそしないが、通常通り職場に顔を出して、事務仕事をする。新年は1月1日から仕事をする予定だ。もちろん表向きの仕事始めは1月4日からである。家主さんたちに気を遣わせてはいけないから、1月1日、2日は半日くらいで切り上げる予定である。3日は翌日から仕事ができるように準備しておかなければならない。毎年、こういう感じである。例外があったのは、今年の正月だけである。これは女性友達との関係が始まったためである。
ともかく、年末年始ということで、間を空けたくないのである。これはゴールデンウイークでも盆休みでも同じである。僕はこの生活に慣れているのだ。高槻で開業するまでに、僕にはアルバイトで食いつないだ時期があるのだけど、コンビニでアルバイトをしていた。年末年始もシフトに入っていた。だから、最後に年末年始を家でゆっくりしたのは、もう15,6年前のことである。仕事をしているのが、僕には当たり前のことになっていて、更に言うと、仕事をしている方がいいのだ。流れを止めたくないし、余計な事を考えなくて済むからである。
大抵、年末年始は1週間から10日くらい休業するところが多いのではないかと思う。1日程度なら休んでもいいのだけど、僕にはそれだけ休むことが耐えられない感じがするのだ。そもそも人生を愉しもうという発想が僕にはないみたいなのだ。それに、人間の一生、人生というものはとても短いと僕は感じている。高齢化しているとは言え、たかだか80年や90年しか生きられないのである。何かを達成するには、とても短すぎる時間だと僕は考えている。それでも、僕はそこまで長生きしたいとも思わない。人生は60年で十分だと思っている。もう3分の2を生きた計算になる。残りの20年で、僕はどれだけのことができるだろうか。
こんなことを考えるのは、本当はアカンことである。こういう考えをしてしまうから、1日休むことでさえ自分に許せなくなるのである。休んだら勿体ないと感じてしまうのである。ところで、来年はいい年である。閏年なのだ。僕の好きな年である。なぜなら、1日得した気分になれる年だからである。
あれこれ言ってきたけれど、これはすべて僕の個人的価値観に過ぎないので、他の人たちに強制するつもりもなければ、共有して欲しいとも思わない。愉しい思い出の一つも、ないよりかはあった方が生きた甲斐を感じられるというものだ。年末年始をゆっくりされるのも、楽しまれるのも結構であります。皆さんは是非、そういう年末年始を過ごしてもらいたいと願っている。僕のような考えは、けっこう不健康なものである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)