12月21日(水):女性友達に捧げる(14)
彼女はどう思うか分からないけれど、人間関係が破綻するという場合、双方に原因があるものである。彼女が僕のことを悪しざまに言うのは勝手であるが、僕はすべてを彼女のせいだと考えてはいないのである。
お互いが関与することによって関係は開始するものである。その際、お互いに相手のパターンや策略に巻き込まれざるを得ないものである。時には、それが相手を苦しめるものであったり、お互いに苦しむことになるようなものである場合もある。問題はそのようなパターンや策略を持っているということではなく、お互いに自分自身をよく知り、自分のパターンを把握すると同時に、相手のパターンをも理解して、お互いに関係を良くしていくことに努めることである。僕はそう考えている。
僕は、僕の悪い傾向で、保護者役割を採ってしまうことが多く、後で後悔することも多い。一方で、それがあるからこの仕事もできるのである。ただ、この傾向はしばしば相手を子ども扱いし過ぎてしまうということも生じる。そこは注意しなければならないことだと自分でも思っている。また、これと関連するのであるが、教師役を取ってしまうケースもある。女性友達との関係では、これもよく見られたことである。彼女に教えようとし過ぎてしまうのである。
一方、彼女の方は、それと相対する役割に一致するパターンが多かったように思う。彼女は憐れな子どものような立場に身を置くことが多かったかもしれない。そういう時、ある意味では、僕たちはぴったり合うのである。鍵と鍵穴の関係になるのである。
初めてのデートの時、それは1月1日のことだった。僕が昼食に誘ったのだった。お昼前に会って、店に行き、食事をする。僕は幾分緊張していた。それで昼間からワインを飲んだ。彼女とはそこで会話を楽しんだ。
食事を終えて、店を出る。当初の予定ではそこで別れて、僕は職場に行って仕事をしようと考えていたのだけど、どういう訳か、ここで別れたら悪いような気がした。と言うのは、彼女は僕との約束のためにわざわざ家を出て、高槻まで来てくれたのだからである。振り返ると、この時点で、僕たちはお互いのパターンに馴染んでしまっていたのかもしれない。
それで映画に行こうということになった。その前に、僕は職場に寄った。これもどういうわけか、彼女には僕の仕事のことを言ってもいいという感じを覚えていた。僕は知人や友人に僕の仕事や職場を教えないようにしているのだけど、彼女には教えてもいいように思われたのだ。これは一つには、前夜に見た夢と関係している。その夢のことが僕の頭の中にあって、それで彼女には教えておいた方がいいと感じていたのである。そして、このことは正しかったのである。
映画は、人がいっぱいだった上に、時間が中途半端だったので、断念する。それで美術館に行こうかという話になって、彼女の車で行くことにする。僕は何となくだけど、映画じゃなくて良かったと感じていた。映画よりも、もう少し会話をしたいという気持ちが強まっていた。
美術館に向かうのだけど、彼女が道を間違えてしまったので、そのままドライブとなる。それはそれで僕は嬉しかったのだ。その時には、僕はもっと彼女のことを知りたいという気持ちに駆られていたからである。ちなみに、彼女が道を間違えてしまった時、僕は「なんてかわいい人だ」と感じたのを覚えている。その辺りから、僕は彼女のことが好きになっているということをはっきり意識するようになっていた。
お正月なので、このまま初詣に行こうかとか、いろいろ考えるのだけど、結局、夕方頃、ファミレスに入って、お喋りの続きをする。すでに車の中でも会話はしていたのだけど。そこで2,3時間話し合ったと思う。それから店を出て、車で高槻まで戻る。その頃には、僕はなんだか幸福感に包まれていたような感じがする。高槻まで戻って、解散する。
それよりも一か月くらい前から彼女とは面識があったのだけど、この日が交際の始まりだった。昼食―僕の職場―映画館―ドライブ(京都へ)―ファミレス―ドライブ(高槻へ)という行程だった。この日にすべてが始まったのだから、日を改めて、僕はこれを詳細に振り返ることにしたいと思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)