12月10日(土):女性友達に捧げる(5)
ナナは次々に男たちを虜にしては、虜にさせた男たちを破滅させていく。エミール・ゾラの『ナナ』である。女性友達と付き合っていると、幾度となく、僕は『ナナ』を思い出した。彼女とナナとがイメージ的に重なるのである。
僕は彼女と交際していて「支配」される感じを述べたが、この「支配」ということは、言い換えれば「融合」ということである。彼女が「融合」関係を築く傾向にあると気づいたのは、2月頃だったと思う。融合関係というのは、精神分析的に言えば、口愛期段階に固着していることを意味するのだが、それはいずれ取り上げることになるだろう。
彼女のもたらす「融合」感とは、種類は何であれ、セラピストとしては素晴らしい能力である。彼女のこの能力が、多くの客や友人を惹きつけていたのだろうと思う。「融合」されるということは、私の体験では、ものすごい一体感を僕にもたらしてくれるのである。どう言っていいのか、すごく適合する感じ、フィットする感じがあった。僕には、彼女のことを、これ以上の女性があるだろうかとさえ思うようになった。
適合感がある時、僕は自分がとても力にあふれてくるのを感じる。しかし、その一方で、この適合が失われてしまうことを極端なまでに恐れるようになった。つまり、他に僕のような存在が生まれるのではないかと恐れるようになったのだ。私もそうだったけれど、幼児期の甘えが足りなかった人間は、こういう融合関係にしがみつき、それを失うことを恐れるものである。
最初の内、僕はこれが「融合」だとは気づいていなかった。すごく気が合うなと感じることはあったし、僕は自分が彼女に夢中になっているくらいにしか捉えていなかったのだ。振り返ると、一心同体のような関係を築いていたように思う。独立した男女の関係ではなかったと思う。僕は自分のできることはすべて彼女に捧げてもいいとまで思うようになった。それくらい「融合」されていたのだろうと、今では思う。
僕は、付き合い始めた最初の頃から、彼女の周りの人間に対してはいい感情を持っていなかった。彼らが、僕から奪っていく対象に見えていたからである。今、思うと、彼らもまた彼女と「融合」的な関係を築いていたと思われる節が思い当たる。こうなると奪い合いの様相を呈しかねないものである。彼女から見ると、僕は嫉妬深いというように映ったかもしれない。しかし、僕の体験した限りでは、それは嫉妬というものではなく、むしろ、失うことに対する恐怖感だったのだ。
何となく取り留めなく書いてきた感じがするので、簡潔にまとめておこうと思う。彼女は「融合」関係を築きやすい人だと思う。融合してもらえるということは、甘えが満たされ、自分がエンパワーメントされたように体験する。だから、それを失いたくないし、彼女の周りの人たちは皆、それらを奪っていくライバルのように見えてくる。彼らに奪われないためには、彼女を独占しなければならなくなる。独占できている時は幸福感に満たされるが、そうでない時は堪らない不安に襲われる。こうして、彼女が僕の中心となっていき、僕は自分を喪失していくことになっていったのだ。
彼女と別れてから思うのは、僕も含めて、彼女の周りには、同じように未熟な人間が集まっているなということである。僕は、もはや彼女との「融合」は求めていない。その段階を、僕は一足お先に卒業したのだ。彼らに成熟がなくても構わない。でも、僕は自分自身を育てていく方を選んだのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)